「あなたの余命は半年です」その瞬間、宮川花子の脳裏をよぎった言葉とは
闘病や介護という難しいテーマに一筋の光が差し込むのようなお話をしてくれたのは、日本を代表する夫婦漫才・宮川大助さん・花子さん。2019年に花子さんに血液のがんである「多発性骨髄腫」が発覚、今もなお闘病生活を続けています。 【図解】多発性骨髄腫の生存率は?発生割合は? 今年6月末には笑って泣ける闘病&介護エッセイ『なにわ介護男子』(主婦の友社刊)を上梓。完治しないこの病気を抱えながら生きる花子さん、そして自身の体調も芳しくない中でも懸命に支える大助さん。花子さんはそんな大助さんを「なにわ介護男子」と命名し、大変な闘病と介護の日々にもクスッと笑えるスパイスを忘れません。 本連載では、おふたりのお話から、「生きる意味とは?」「夫婦とは?」を考えていきます。また、介護をする側・される側の本音にも迫ります。 「あわてず、あせらず、あきらめず、私はこれからも挑戦を続けます」。著書の終わりをそんな前向きな言葉で締めくくっている花子さんですが、実際には計り知れない痛みや苦しみ、葛藤を経験しているのは想像に容易いものです。今回はそんな花子さんが「転移性骨腫瘍の疑いあり」と告知を受けたときのお話から。一体、いつどんな風に異変を感じたのか? 告知を受けたときの心境は? 当時を振り返ってもらいました。
ウォーキングイベントの途中で謎の腰の激痛。わずか2週間後、「余命半年」の宣告を受ける
テレビドラマではよく見かける余命宣告。でも、実際に自分や家族が受けることになったら……。どんなにメンタルが強い人でも、きっと気が動転してしまうでしょう。いつも太陽のように明るく元気なイメージが強い花子さんでさえも、医師から衝撃の告知をされたときは「記憶をなくすほどの大きなショックを受けた」といいます。 「初めて体調に異変を感じたのは、2018年3月2日に開かれた寛平マラソン前日のウォーキングイベントのとき。もともとフルマラソンを完走したこともある私ですから、12kmやそこらのウォーキングなんて余裕しゃくしゃくのはずが、なぜか途中から腰の激痛で一歩も進めない状態に」 二人のマネージャーの肩を借りて、なんとかゴールした花子さん。いったん痛みが治まったものの、2週間後にはまったく起き上がれなくなり、大助さんに説得されて家の近くの病院に向かいました。そこで、医師から衝撃の告知を受けることになったのです。 「『転移性骨腫瘍の疑いあり。背骨の2番と5番にがんがあり、内臓から背骨への転移であれば、余命半年』 テンイセイコツシュヨウ? 余命半年? 頭の中は真っ白です。病名の漢字も浮かびません。隣に座る大助くんは、顔面蒼白。どうやって会計をすませて病院を出たのか、記憶にないほどショックを受けました」