「ときには命に関わる言葉の刃に」長濱ねるが“アウティング”に思うこと
ときには命に関わる言葉の刃に
「今回、基本的な用語を学び、特に気になった“アウティング”について考えてみました。先述の単語解説にもある通り、本人不在の場や了承を得ていないのにも関わらず、極めて個人的なSOGIを暴露するアウティング。これは結構日常でも起こっていることだなと思いました。 例えば、『あの人、ゲイだって』、『○○さんは彼女いるよ』という話を耳にしたことがあるのではないでしょうか。アウティングをした人は、会話を弾ませるつもりだったり、軽い気持ちで話していることが多いように思います。 罪の意識なく発したアウティングにより、当事者は精神的に追いやられてしまったり、国によっては同性愛者が刑事罰にさらされるなど命に関わる問題になることもあると聞きました。 数年前とある大学院生が、自身が同性愛者であることを友人に暴露され精神に変調をきたし、極端な選択をしてしまったという悲しい事件がありました。アウティングは当事者の心を傷つけ、最悪の場合は死に追いやってしまう危険性があるということを知るきっかけになった事件でした。 友人間や仕事場の雑談の中で、トピックとして出てくることもあり得ることですが、その何気ない暴露によって、死まで考えてしまうほどに傷つく人がいるということを忘れてはなりません。 そもそも本人がいない場面で、誰かの性的指向やパートナーの有無、病気や障害、出自に関することを第三者に話してしまうことは、会話のマナーとしてもいかがなものかなと思います。本人と直接話したり、本人の了承を得た上で話すことに問題はないと思いますが、第三者が本人の許可を得ず話すのはどうなんだろう? 私自身も普段はこれらのような会話の流れになりそうな時は、深入りしないよう話を変えています。聞く側としても、受け身でいるのではなく『他の話にしよっか』など言いやすい表現で抑止することも大事なことだと思います。 時に踏み込んだ話をすることで、人間関係が深くなることもあるとも思いますが、誰かの軽はずみなアウティングや悪気のないマイクロアグレッションによって、心を擦り減らしている方がいるということに、改めて注意が向きました」