ノートルダム大聖堂、火災後に驚きのお宝を床下から発見、「信じられないほど素晴らしい」彫刻も
内陣仕切りはなぜ埋められたのか
内陣仕切りは5世紀近く存在していた。やがて典礼の慣習が変わり、芸術の流行も変化して、ゴシック様式は嫌われるようになった。ノートルダム大聖堂の聖職者たちは伝統主義者だったので、その内陣仕切りは、フランスの他の多くの教会よりも長く残されていた。 しかし、より開放的で、自分自身と父王ルイ13世の大きな像を配置した聖歌隊席を望んだルイ14世の圧力により、1710年代にオリジナルの内陣仕切りは解体され、もともとあった場所の隣に埋められた。彫刻は解体され、破壊されたが、それでも神聖なものと見なされていたため、教会から持ち出すことは許されなかった。 研究者たちは今回、内陣仕切りの大小さまざまな破片を約1000点発掘したが、そのうちの約700点には彩色の跡が残っていた。当初、ノートルダム大聖堂の彫刻は、正面ファサードの彫刻を含むすべてに流行の鮮やかな彩色が施されていたと考えられている。したがって、内陣仕切りの彫刻に残っている色は、かつての大聖堂全体の様子を知る手がかりとなる。 ベニエ氏は、自分たちが内陣仕切りのどのくらいの部分を発掘したのかはまだわからないと言うが、発掘範囲の外だった聖歌隊席の下には、さらに多くの破片が埋まっていると確信している。 リクネール氏は、「こんなに素晴らしいものを大聖堂の床下に放置しておくことは許されません。発掘作業は継続しなければなりません」と主張する。しかし、聖歌隊席は修復されたばかりで、まもなくノートルダム大聖堂は再公開されるため、近いうちに発掘作業が再開される可能性は低い。 もし火災が起こっていなかったら、自分たちは内陣仕切りの一部でさえ発見する機会はなかっただろうとベニエ氏は言う。結局、考古学的な発掘調査は修復工事の進行を遅らせることはなく、新しい尖塔は予定通りに建設された。大聖堂は12月8日に一般公開を再開する。
文=Robert Kunzig/訳=三枝小夜子