ノートルダム大聖堂、火災後に驚きのお宝を床下から発見、「信じられないほど素晴らしい」彫刻も
失われ、再発見された傑作
この内陣仕切りは、彩色されたゴシック彫刻の傑作だった。ベニエ氏のチームが発掘した等身大の像の中には、息絶えたキリストの像の頭部と胴体もあった。その目は閉じられ、槍による脇腹の傷口からは赤い血が滴り落ちていた。 「この彫刻は、精巧さと細部へのこだわりにおいて本当に並外れています」とベニエ氏は言う。「まぶた、耳、鼻の表現は信じられないほど素晴らしいです」 現在、ノートルダム大聖堂の正面入り口から中に入ると、現代的な祭壇と聖歌隊席を見ることができる。しかしノートルダム大聖堂が完成した13世紀には、巨大な十字架像が頂部に据えられた内陣仕切りが視界を遮っていた。 建築史家のマチュー・ルルス氏は、ノートルダム大聖堂の内陣仕切りには2つの役割があったと説明する。1つは、聖職者が身廊に集まった人々に聖書を朗読するための台としての役割だ。聖職者は内陣仕切りの階段をのぼって上部の説教壇に出て、そこから会衆に説教することができた。 もう1つは、プライバシーの確保だ。内陣仕切りがあることで、聖職者は1日8回の礼拝を行う際に聖歌隊席に身を隠し、人々の視線を避けることができた。 内陣仕切りに施された彫刻は、キリスト教の中心的な物語を表現していた。歴史家のダニー・サンドロン氏は、「昔の記述から、キリストの受難の場面が描かれていたことが分かっています」と言う。最後の晩餐から十字架上の死を経て復活するまで、物語のすべてがそこにあった。 カトリックのミサでは、パンとワインがキリストの体と血に変わるとされる「聖体の秘跡」で、この物語が再現される。中世のノートルダム大聖堂では、信徒たちは内陣仕切りの向こうで聖体の秘跡を行う司祭の姿を見ることはできなかった。また、聖歌隊席の一番奥にあった主祭壇で司祭がつぶやく言葉を聞くこともできなかった。 当時の会衆にとっては、この静寂こそが尊いものだった。ルルス氏は、「何も見えず、何も聞こえない瞬間こそが、最も大切な瞬間なのです」と言う。「人々は、そこで信じられないようなこと、奇跡が起きているのを知っていました」