「教頭先生に『お母さん、家で何をさせているんですか』と言われたことも…」ダウン症のアマチュア落語家・村上有香「仕事は100歳まで続けたい」と言えるまで
ダウン症のある詩人でアマチュア落語家の村上有香さん。ダウン症があることを自覚し、受容するまでのお話をお母さまの村上喜美子さんとともに伺いました。(全2回中の2回) 【写真】「花柄の着物がきれい」成人を祝う会での有香さんと父 など(全10枚)
■自分の中の偏見や無知を反省した日 ── 有香さんの小さいころのお話を聞かせてください。 有香さん:私が産まれたとき、お父さんは家に帰って大泣きしたんです、うれしくて。 喜美子さん:産まれてすぐに、夫は有香に会う前に産婦人科医から「ダウン症の兆候があります」と言われて、家に帰ってひとりで泣いたそうです。私は「地獄に落ちた」と思いました。(有香さんに向けて)ごめんね。今は違うからね。今はうれし泣きになったね。
そのとき、私は今まで障がいがある人に対して「地獄にいる」と思っていたんだ、と気づきました。自覚はなかったけれど、自分の中に偏見や「こうでなければいけない」という思い込みがあった。そしてそれは、無知のせいだということも反省しました。生後1か月くらいのときに、小児科医に「どう育つんですか」とお尋ねしたら「健常者でも成長の幅は広い。ダウン症の人はもっと幅が広いから育ってみないとわかりません」と言われたんです。「育たなければわからないのなら、がんばって育てよう」とそのとき思いました。
当時の看護師長さんに「成長が遅いぶん、できるようになったときの喜びが大きいですよ」と言われて、そのときはそうは思えませんでしたけれど、実際に首を上げられるようになったときも歩けるようになったときもすごくうれしくて、おっしゃったことは本当でしたね。 ── 有香さんを育てるときに、心がけていらしたことは。 喜美子さん:有香が小さいころに通っていた療育の先生に「自信を持たせてあげることが大切」と言われたんです。どうすれば自信を持たせることができるだろうと考えて、手作りのおもちゃで自己肯定感を高める工夫をしました。たとえば、穴の開いた容器に棒を刺す木製のおもちゃがあったのですが、それは容器に棒を刺すと棒が見えなくなってしまう仕様でした。「刺してもそこにあることがわかるように、容器が透明ならいいのにね」と先生がおっしゃっているのを聞いて、ペットボトルで同じようなおもちゃを手作りしてみました。同じ色どうしを合体させて完成する「色合わせのおもちゃ」も、違う色を選んだら磁石同士が反発するようにして、色合わせが失敗しない工夫をしました。おもちゃで遊びながら、有香は自分で考える力がつきましたし、「入った」とか「落ちた」とかの言葉も出るようになりました。