「教頭先生に『お母さん、家で何をさせているんですか』と言われたことも…」ダウン症のアマチュア落語家・村上有香「仕事は100歳まで続けたい」と言えるまで
── おもちゃのクオリティが高くて驚きます。 喜美子さん:学生のころに美術を専攻していました。学生時代に作品を褒められることはなかったのですけど、有香のために作ったおもちゃで初めて「いいね」と言ってもらえました。「有香を成長させる」という目的ができて、学生時代とはくらべものにならないほどのパワーが出たのかもしれないですね。
■「家で勉強しているのに、学校でまで勉強をしなさいと言われたくありません!」と大泣き ── 学校ではいかがでしたか。 有香さん:小学校3年生のとき、みんなと一緒の授業についていけなくなってしまったんです。話も聞き取れないし、自分もうまくしゃべれなくて大変だったんです。教室で「私は家で勉強しているのに、学校でまで勉強をしなさいと言われたくありません!」って大泣きしたんです。 喜美子さん:普通クラスについていくためではなく、将来困らないように時計とお金がわかるようにしてあげたくて、家で勉強をさせていたんです。「お母さんとの勉強楽しい」と言ってたんですけれど(笑)、私への遠慮だったのですね。教頭先生に呼び出されて「お母さん、家で何をさせているんですか」と言われました。「勉強は学校に任せて、家ではリラックスさせてあげてください」と。それからは、勉強はプロにお任せすることにしました。たとえば、時計ですが、時間って60までの数の並び方がわかることに加えて、2桁の足し算と引き算が暗算でできなければ読めません。当時、有香は時刻の読み方ですら丸覚えして、すぐに忘れてしまっていました。その子が理解できるタイミングに合わせて教えないといけない。よい指導者には、そのタイミングがわかるのですよね。
有香さん:6年生のとき、保健室登校になりました。 喜美子さん:支援学校の体験入学をしたら、「こんないいところがあるんや」と思ったようで、「転校したい」と言い出しました。支援学級をすぐに使わせていただくことはできなかったので、保健室にいさせてもらっていた時期があります。仲よくしてくれていたお友達が、保健室まで迎えに来てくれてね。 有香さん:佐野さんです。 喜美子さん:有香の作った「佐野さん」という詩があります。「佐野さんはとてもやさしい子 私は佐野さんになりたい」という内容です。佐野さんのお父さんがこの詩を読んで号泣されました。