父の桐竹一暢と吉田簑助、師匠2人から受け継いだ基本と色香 文楽人形遣い・吉田一輔さん 一聞百見
ところが、2人がこっそりデートをしていたとき、殿中では勘平の主君、塩谷判官(えんやはんがん)が高師直(こうのもろのお)に斬りかかるという大事が起こっていた。あいびきが2人の運命をどん底に突き落としていく。そのきっかけが、おかるの誘惑だったのだ。
遊女となってから一力茶屋の二階座敷に姿を現す場面でも、今秋、アルゼンチンタンゴとコラボレーションした経験から、「もっと動きをオーバーにした方がいいかなと、少し演技を変えてみました」。
人形がかわいくて仕方がないという。
「自分の体の一部みたいな感じですね。思わず、かわいいなあ、きれいやなあと、じっと見入ってしまいます」
憧れ、尊敬した師、簑助の左遣いで学んだ貴重な経験に今、自身の工夫が加わって、一輔の人形は舞台で華やかに咲いている。
■父の教え、叱責 今も胸に
祖父の桐竹亀松(きりたけ・かめまつ)も、父の桐竹一暢(きりたけ・いっちょう)も人形遣い。文楽人形遣いの家の3代目に生まれた。周囲から「将来は人形遣いになるんやろ」と言われて育った。
「僕も幼稚園の頃はそんなことを言っていたらしいです。でも小学6年で硬式野球のチームに入って野球に夢中になったので、文楽のことはすっかり忘れていました」
それが中学生になって考えが変わる。きっかけは人間国宝だった初代吉田玉男の孫が中学1年で入門したと聞いたことだった。
「そんな早くからやらんとあかんのか、先を越されたと、めちゃめちゃ焦ったんです。負けず嫌いなんで翌年には父に『人形遣いになりたい』と言いに行きました」
しかし、父の一暢は「やれるわけがない。そんな生易しいもんやない」と猛反対。母親の口利きで渋々文楽の世界に入ることを許したという。
一暢は、自身も尊敬する先輩の吉田簑助(よしだ・みのすけ)に弟子入りさせたいと考え、頼みに行ったところ、簑助に「おまえもそろそろ弟子を取らないかん」と言われ、実の息子を弟子にした。
「今考えると、父は僕を弟子にしたことで、気苦労があったやろなと思います」と父の立場をおもんぱかる。