父の桐竹一暢と吉田簑助、師匠2人から受け継いだ基本と色香 文楽人形遣い・吉田一輔さん 一聞百見
一暢からは人形を遣う上での基本を繰り返し教わった。そして、「何事にも素直で人の言うことをよく聞いて、誰にでも好かれる人間になれ」と、人としての大切な心得を何度も口にしたという。
そんな父にたった一度、皆の前でこっぴどく叱られたことがあった。入門4年目、一暢が『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』のヒロイン、雛鳥(ひなどり)を勤めた際、重要な足遣いを任せられた。足遣いは駒下駄で、カランカランときれいな音を出さなければいけない。ところが、うまくできなかった。
稽古が終わった途端、父の怒鳴り声が響いた。「おまえは勉強もせんと遊んでばっかりいるからこんなことになるんや!」
今でも語り草になるほどの激しい叱責だった。
「父は人前であえて叱ったんだと思います。息子に恥をかかせることで、心を入れ替えてしっかり勉強しろと言いたかったのでしょう。また、父自身も他の大勢の技芸員の前で息子を叱らねばならないという恥をかいてくれた。あのとき、絶対、頑張ってやっていこうと心に決めました」
昨年4月、大阪・国立文楽劇場で「妹背山婦女庭訓」が上演された。一輔は雛鳥を遣った。足遣いは平成25年に入門した長男の吉田簑悠(みのひさ)。あのときと同じ状況だった。一輔は当時の父の心境が痛いほど分かったという。
ところが、「僕が言うのも何ですが、簑悠は当時の僕とは全然違って、驚くほど真面目。叱らねばならないことにはならなかったですね」。少しうれしそうな笑顔を浮かべた。
簑悠も一輔の後を追うように人形遣いになった。文楽史上、直系で人形遣いが4代続いたのは、初めてのことだ。入門したのは吉田簑助。それは一輔のたっての願いだった。「でも文楽は実力社会。本人が頑張るしかないんです」と厳しい表情を見せた。
自分の息子がこの世界に入って最近よく思うのは、65歳という若さで亡くなった父のことだという。
「父は亡くなる前には主役級の人形も勤めていました。これからもっと大きな役がついていく時期だったと思います。そやから、さぞ悔しかったやろうなあと思うんです。だからこそ、父の分も頑張りたい。その思いが僕の力になっています」