父の桐竹一暢と吉田簑助、師匠2人から受け継いだ基本と色香 文楽人形遣い・吉田一輔さん 一聞百見
最近、大きな役がつくようになって、父が昔、丁寧に教えてくれた基本の大切さを痛感している。
「若い頃、基本をしっかりやったことが現在、派手さを発揮できる役がついたとき、生きている」
一輔は今、飛躍のときを迎えている。
■舞台袖で学んだ師匠の芸
一輔には2人の師がいる。最初に入門した父、桐竹一暢(いっちょう)と、平成16年に父が亡くなった後、「弟子にしてください」と自ら願って門下に入った人間国宝、吉田簑助である。
「父の下で20年、簑助師匠の下で20年。ちょうど半々なんです」
簑助の遣う人形に憧れ続けた。
「僕が言うのもおこがましいのですが、人形を遣う技術の次元が違いますし、色気、華やかさ、間合い、全てがすごくて、どうしたらああいうふうに遣えるのか、そばにいてもなかなか分からないんです。僕もつい、皆さんと同じファン目線で見ていました」
簑助門下に入って2年目のこと。「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)・十種香の段」で、簑助は八重垣姫を遣っていた。いつものように一輔は上手の舞台袖から見入っていた。
「明日から来い」。公演の中日あたりに突然、師から告げられる。左遣いに抜擢されたのだ。当時の一輔は主役の左遣いはまだ経験がなかった。だが、毎日必ず舞台袖から熱心に勉強している一輔の姿を、師は見ていたのだ。
「ドキドキもありましたが、『さあ、来た』とも思いました」
それは一種の試験だったのだろう。しっかり遣い切った一輔は、次の公演から簑助のほとんど全ての左遣いを任されるようになった。
「僕は師匠の弟子の中では言ってみれば外様です。その僕に大切な左遣いをやらせてくださった。師匠の一番近くで学ばせていただけたのです。もちろん緊張はしますけれども、こんな幸せなことはありません」
伝統芸能の世界では、師匠は弟子を褒めないものだ。だが、ある公演の「曽根崎心中」で、簑助は一輔が自分の左遣いを勤めた舞台写真をじっと眺め、「生きてる、生きてる」と、人形の左手を指さして言ったという。