国民が愚かになっていくとき…「タテ社会の論理」への過剰な依存がもたらす「深刻な事態」
それでも、適度な依存は必要
現在の日本社会が抱えるさまざまな課題を乗り越えるためには、このようなタテ社会の論理への過剰な依存が乗り越えられねばならないだろう。 さて私はここで「過剰な依存」は不適切であると論じているが、「タテ社会の論理」への適度な依存は必要だと考えている。組織や集団は課題解決や目的の達成のために活動しなければならない。そして特定の目的の達成のためには、それに適した知識や技能・経験を持つ人たちが重んじられ、その人々が影響力を発揮される状況が準備されるべきだ。そこで必要となるのは一定の「タテ社会の論理」への依存と承認である。 このことを確認するのは、「タテ社会の論理」の放棄や全否定は、望ましくない結果をもたらすからだ。心理学的には、人は自分の心の中につくられてしまった考え方や感じ方のパターンに対して、3つの態度を示すことがある。 その3つの反応の仕方は、表面上はそれぞれ全く異なって見えるが、いずれも心の中のパターン(スキーマという用語を使う場合もある)にとらわれているという意味では同じで、本当の未来志向の問題解決を重視した行動を妨げる。その3つのパターンとは、スキーマが示す内容をすべて本当だと真に受けること、そのようなスキーマが刺激される状況を最初から避けること、そしてスキーマと正反対のことをいつも考えたり発言したり行動したりすることである。 たとえば幼少期に悲惨な経験をして「人間は信用できない」というスキーマが形成されている場合を考えてみよう。 そのスキーマが示す内容をすべて本当だと受け止めれば、他者を過剰に警戒し、常に疑ってかかる行動が生じる。それを回避するためならば、そもそも他人と親密に関わることをしなくなるだろう。反対の行動を取るとは、逆に自分の方が他人を利用したり不当に扱ったりする行為に及ぶことである。その3通りのどの行動の根底にも、「人間は信用できない」という思いがある。 タテ社会の論理への過剰な適応によってできるスキーマとは、「上位の人間には必ず従わねばならない」だろう。このスキーマに従うならば、「わざわざ自分に嫌なことを強制するような偉い人」に寄って行って、その要求に応じる行動が生じる。 そういう組織の論理に絡めとられることが嫌な場合には、人間関係や社会的な活動を避けるようになる。そのどちらでもない場合に、「偉い人」にいつもつっかかる反抗的な態度を示すようになる。 参考:『スキーマ療法 パーソナリティの問題に対する統合的認知行動療法アプローチ』 2008年 金剛出版