国民が愚かになっていくとき…「タテ社会の論理」への過剰な依存がもたらす「深刻な事態」
思春期の子どものような心性
さて、日本の現在の政局のことに話を戻そう。 一部の野党の振る舞いは、「タテ社会の論理への過剰な依存」を本当の意味で乗り越えるものではなく、「タテ社会の論理」に強く縛られたまま、偉い人に反抗的な姿勢さえ示せば何か意味のあることを成し遂げているかのように感じる、思春期の子どものような心性にとらわれている。 製薬会社のMeiji Seika ファルマが、同社の新型コロナワクチン「レプリコン」に対して繰り返しての科学的根拠のない誹謗中傷を受けたとして、立憲民主党の原口一博氏に損害賠償などを求め、東京地裁に提訴することを明らかにした。これは適切な措置である。ワクチンの効果の評価は、適切な知識や経験がなければ妥当性を持って行えない専門性の高い事柄である。 しかしそのような客観的な状況を無視して、学会や政府・製薬会社などの通常ならば一定の権威を認められるべき存在に対して、自分たちの理想と合わない現実が存在することの責任をすべて押し付けるような議論を、反ワクチンの立場の人々やそれを擁護する議員は展開しており、このような行動は適切に牽制され抑制されなければならない。 空想の中で「タテ社会の論理」を逆転させれば、例えば総理大臣のような「偉い人」がタテ社会の下位の人間になる。一部の野党とその支持者たちは、その下位であると勝手に空想している人間に「員数をつけてこい!」と命令をするような気分で、様々な要求を突き付けているのではないだろうか。そうであれば、表面的にはその言動は勇ましいだろう。しかし心中は「タテ社会の論理」にどっぷり依存しているので、それを離れては自力で何かを成すことは困難だ。自分たちが責任者になった時の備えが足りないと言わざるをえない。 政治を離れても、昨今の日本人が「能力があり、問題を押し付けても引き受けてくれそうな人」に示す過剰な要求や期待、暴力的な強制は恐怖をひき起こす水準に達している。 すぐに思いつくのは例えば、この数年の野球界に関する「どこを見ても大谷翔平」が現れるようなマスコミの報道の仕方である。日本のテレビ局が、大谷選手の自宅の情報を報道してしまい、所属するドジャースから強い抗議を受けたエピソードは記憶に新しい。 話の水準は異なるが、いろいろな場面でその問題性が認識されるようになっている「カスタマーハラスメント」の問題も、この心性と関連が深い。「タテ社会の論理」を批判することで権威を主張するが、自分の身近な人、話を聞いてくれそうな人を屈服させて、タテ社会における自分より下位の人物かのように都合よく使役することを望んでいる。 本当の困難な課題についての問題解決は、「タテ社会の論理」に従うのか逆らうのか、そういう軸で物事を考えていては果たされない。現実そのものに向き合い、その時に利用できるものはすべて活用して、もっともよい介入方法を探り、実践を続けるなかでようやく見いだされるものだろう。 国民民主党は、そのようなポジションを目指しているように見えた。しかし、それが本物かどうかはこれから見極めていきたい。そして、そのような活動が良い影響を発揮し、他の政党にも変化をもたらすとしたら、そこに希望があるだろう。
堀 有伸(精神科医・ほりメンタルクリニック院長)