国民が愚かになっていくとき…「タテ社会の論理」への過剰な依存がもたらす「深刻な事態」
国民が、判断力を失い、次第に愚かに…
「タテ社会の論理への過剰な依存」が望ましくないのは、それが不正であるからだけではない。このような社会に生きる国民が、判断力を失い、次第に愚かになっていってしまうことも大きな問題なのだ。 山本七平は『一下級将校の見た帝国陸軍』という本で、旧日本陸軍で認められた「員数主義」や「員数検査」という言葉を紹介した。「員数検査」とは軍隊の備品が帳簿上と現物の数が合っているかどうか調べることだったが、日本陸軍では帳簿に記録されている物品の数(員数)に現実を従わせるために、担当者に暴力的な強制をすることが当然だった。軍隊の記録と現実が合わない時に、担当者、つまりタテ社会の論理の下位の者に対して、ビンタのような体罰を行うことが日常的に行われていた。そして強制された者は、どこかから足りない分の物品を盗んでくる必要があった。 これはまさに「タテ社会の論理への過剰な依存」だ。現実の問題が起きていることに目を向けない。そしてその現実と、組織にとっての建て前を埋める作業を、たまたま居合わせた特定の個人に押し付ける。それが暴力的な手段を取ったとしても問題とされない。つまり、窃盗のような犯罪を行うことを、その個人は組織から、あるいは上司から強制される。その結果得られた物品は組織に強制的に接収される。 この場合の担当者の人権は、当然のように蹂躙されている。一つは、暴力にさらされ生命と健康が脅かされる意味で。もう一つは、自らが不正な手段で確保するリスクを冒してまで手にした物品を、組織によって横領されるという意味で。 このような集団では、組織全体とその所属員が、建て前と現実の差に真摯に向かい合い、その問題の解決を真実に目指すという知的・社会的な営みは行われなくなるだろう。その代わりに、自分が員数をつけるように命じられる担当者にならないこと、だれか別の人にその担当者の立場を押し付けることを全力で目指すようになる。 人間関係に葛藤が生じた時に、「現実的な課題を発見してその解決を目指す」ことよりも、「自分が相手よりもタテ社会の論理で上位であること、相手が下位であることを周囲に認めさせる。その上で責任を、下位であると認定されたものに押し付け、安く使役する」ことが重要になる。この場合に、例えば科学的な知識を習得するよりも、タテ社会の論理に習熟してその中での上手な立ち居振る舞いを身につけることによる利得の方が大きい。 よく知らない人が現実的な貢献を果たそうとしている状況は、タテ社会の上位の人々によって自分たちの利権を脅かす危機と認識される。その結果、社会に対して有効な貢献をしようとする人が周囲からの攻撃の的にされたり、無視されたり、手柄を横取りされるようになる。その結果、多くの国民が出過ぎた主張を行わずに、空気に同調していることを最善と判断するようになる。 山本の記録によると、日本陸軍で横行するようになったのは「不可能命令」と、それを回避するための虚偽の「員数報告」だった。「不可能命令」とは、員数さえ満たしていればそれでよしとするような、現実を無視した命令である。例えば、雨が降れば使えなくなるような粗末な飛行場でも、大本営には不滅のごとき立派な飛行場と報告され、そのように作戦地図に記載された。