指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
ミスは誰にでも起きる。でもミスがあったときに…
時代の流れなのか、厳しい指導がダメだからもっと子どもたちを褒めましょうという声が増えてくると、これまでの反動も作用して、子どもたちの何もかもを認めて、何もかもを褒めて、という指導こそが正解という考えまで出てきてしまう。それはまた極端な話であり、何事も極端になることが最もよくない。ダメなことをしたときにしっかりと注意をする、正しい線引きをしてあげることなく、どのように子どもたちは分別を学ぶことができるのか。大人が考えることを放棄するのが子どもたちにとっていいわけがない。 ブンデスリーガの古豪1.FCケルンの元育成統括部長クラウス・パプストが興味深い指摘をしてくれたことがある。 「ケルン体育大学での指導者講習会でもそうしたディスカッションがされたことがあったんだ。『パーソナリティとはなんだ?』というテーマだった。みんないろいろと考えては意見をぶつけ合っていたけど、パーソナリティというのは、『自分でやるべきことを実行に移せる能力』のことだよ。指導者が言うことをそのまま実行する能力がサッカーでも、社会でも求められているわけではない。選手自身が何をすべきかを適切に判断し、そして自分で実行しようとするかどうかが大事なんだ。例えば、試合でうまくいかないことがあると両手をあげて不満を表す子がいる。私はそうした子たちに、『そうしたジェスチャーをすることが何かの助けになるのか?』と尋ねる。そうしたジェスチャーは自分で実行する意欲がないことの表れでしかないということを学ばなければならないんだ」 ミスは誰にでも起きる。でもミスがあったときにどんな対処をすべきか、そこからどう修正すべきかに自分自身で取り組めないと、本質的な習得にはつながらない。子どもたちはうまくいくことに関しても、うまくいかないことに関しても、経験の絶対数が相対的に大人よりは少ない。当たり前だ。子どもたちよりも何十年間長く生きていて、さまざまな経験や知見が備わっている大人のように、次の、次の、そのまた次の対処法まで考えることなんて、そう簡単にできるものではないではないか。