「統一教会という組織の全体像に少しずつ近づいている」ーージャーナリスト有田芳生の「原点」と、見えてきた「収奪の構造」
「Wさん」と「謀略集団」のギャップ
有田は、旧統一教会という組織は厳しく非難するが、個々の信者について話す口調は穏やかで、親しみさえこもる。 ──統一教会とのファーストコンタクトは10代のときだったそうですね。 「京都で浪人中に、河原町を歩いていて小柄な女性と目が合って、『アンケートに答えてもらえませんか』と声をかけられました。『時間をとって話をしませんか』と誘われて、そのときは時間がなかったので、数日後に会う約束をしました」 「夜7時に待ち合わせて、近くの喫茶店に入りました。『もう第三次世界大戦は始まっているんです』と繰り返し言うんです。そうだとしたらどうすればいいんですかと聞いても、思わせぶりなことを言うばかりで、噛み合わない。11時ぐらいに、あなたとは考え方が違うということはよくわかったと言って別れました。『みんなが集まっているところに行きませんか』と誘われたけど、断りました。『ああ、ホームだな』と察したので」 ──「ホーム」とは。 「信者たちが集団生活をしているところです。30人ぐらいで寝泊まりして、そこを拠点に街頭アンケートから始まる信者勧誘、難民救済と称した募金、霊感商法などに出かけていく。そういった活動は『献身』と呼ばれていて、24時間365日、統一教会のために働くんです」 ──そのときにすでに統一教会を知っていたんですか。 「ぼくは高校を卒業した直後に共産党に入党するんですが(1990年に除籍)、当時の共産党は統一教会をかなり認識していて、機関紙『赤旗』などで記事や論文が出ていました。共産党系の媒体以外にも、のちに『原理運動の研究』を書く茶本繁正さんや、『勝共連合』を書くインド哲学者の日隈威徳さんら、統一教会について書いている人はいました」
──統一教会とわかっていてその女性と会おうと思ったのはなぜ? 「どんなことを言うのか聞いてみようという好奇心ですね。高校時代からジャーナリストの本多勝一さんの本なんかをむさぼるように読んでいて、将来は新聞記者になりたいと漠然と思っていたから」 「その女性、Wさんとしますが、Wさんに会って、真面目な人だと思いました。当時、共産党は統一教会のことを『韓国生まれの反共謀略集団』と呼んで批判していたんです。そういう呼び名が『嫌韓』や『反韓』につながるのはよくないし、共産党も今は使っていませんが、党が貼っていたレッテルと、実際に会ったWさんの印象は、まったく違っていた」 「今回の一連のできごとがあって、彼女はどうしているんだろうと気になって、内部資料を調べてもらったんです。そうしたら、1975年の国際合同結婚式の名簿に彼女の名前があった。『やっぱり結婚式に行ったんだ』と思いましたね」 ──本名を名乗って勧誘していたんですね。 「仮名にすることもしないぐらい、素朴な人たちなんです。だから、『韓国生まれ』は事実だし、『反共』も正しいんだけど、『謀略集団』とWさんがどうしても結びつかないんだよね。今だって、一人ひとりの信者はごくふつうの、やさしい人なんですよ」