「統一教会という組織の全体像に少しずつ近づいている」ーージャーナリスト有田芳生の「原点」と、見えてきた「収奪の構造」
──92年は有田さんが週刊文春で合同結婚式を報じたときですね。 「当時人気のあった女性タレントが合同結婚式に参加するという記事を書いたらワイドショーが大騒ぎになって、ぼくのところに取材に来て、テレビに出るようになって。そのあとも毎週のように書き続けました。でもネタなんか切れるわけですよ。当時のデスクで、のちに文藝春秋の社長になる松井清人さんに泣き言を言ったんです。もう書くことないですよって。だけど、キャンペーンは続けることに意味があるんだって言われたの。そうすることで情報が入ってくるんだって。それはまさしくそうだった」 「朝のワイドショー終わりで銀座の地下を歩いていたら、女性に『有田さんですよね』と声をかけられた。『世界平和女性連合というのは統一教会(当時、以下同)ですよ』と言われて、調べてみたらまさしく統一教会のフロント組織だった。そこからまた別の女性タレントが統一教会に入信させられそうになっていることがわかって、それを書くわけです」 ──そのときの有田さんの動機はどういうものなんですか。怒り? 「いや、怒りではない。それ以前に朝日新聞が『親泣かせの〈原理運動〉』という見出しで親の嘆きを書いた。あんなにやさしい子がなぜ、と。ぼくも朝日ジャーナルで霊感商法を追及していて、抗議文がきたり嫌がらせや尾行されたりということはあるんだけども、子どもが入信した親の苦しみが実感としてわかるわけではなかった」 「それが、92年になるとテレビ局や編集部に手紙がたくさん届くんですよ。うちの息子が、娘が、入信してしまったので相談にのってほしいって。親御さんに会って話を聞いていくうちに、はじめて親の苦しみがわかるようになったかな」 ──統一教会そのものに対する印象は変わっていきましたか。 「現場を歩いて、たくさんの人に会っていくことで──脅迫電話をかけてくるような信者も含めてね──、統一教会という組織の全体像に少しずつでも近づけているかなということはありますね」