「統一教会という組織の全体像に少しずつ近づいている」ーージャーナリスト有田芳生の「原点」と、見えてきた「収奪の構造」
「Wさんと会った7年後に、たまたま出張で京都にいて、府知事選の街頭演説を妨害しようとする集団に出くわしました。ゼッケンやビラに書かれている内容で、(統一教会信者が主な構成員である)国際勝共連合だとわかりました。遠くからでもわかるほどの罵声をあげて、目を血走らせていた。そこにWさんの姿があったわけではないんだけど、たぶんこの人たちも、Wさんのようにふだんはおとなしい人たちなんだろうと思ったのが、関心をもつ理由になったのは確かです」 ──これを自分のライフワークにしていこうという考えがあったんですか? 「まったく考えない。こういう社会悪をのさばらせちゃいかんみたいな気持ちもなかった。フリーのジャーナリストで統一教会をやるなんていうのは、変な人なんです。みんなやりたがらなかったんです、気味悪がって。お金にもならないし」 「ただ、ぼくは上田耕一郎さん(政治家、1974年から1998年まで参議院議員)に憧れて、上田さんの本を出していた出版社に就職するんだけど、上田さんに『組織が言っていることと現実が食い違っていたら、迷うことなく現実を選べ』と教えられたんです。何度も言われた。人間はどうしても、自分の頭の中にあることが正しいと思い込んでしまう。だから、現場に行かなきゃダメだというのを、今になるまで続けているだけだと思いますけどね」
そこまでの深い恨みは想像できなかった
Wさんのような素朴でおとなしい若者が、なぜ極端な教義に惹かれていくのか。有田は何人もの信者に会い、1990年に『原理運動と若者たち』という本を出した。 ──有田さんは日本の若者たちの言うなれば精神性みたいなものに、関心をもっていたわけですか。 「結果的に、統一教会に入る人にはこういう傾向があるんだなと思った、ということだと思う。信者の親にも話を聞いて、反抗期がない人が多いことや、家庭における父親の『不在』との関連が見えてきたり」 「勧誘の仕方にもいろんなマニュアルがあることもわかった。さまざまな方法で信仰を植え付けていって、最後の最後、暗い場所につれていかれて、『この世にはすでに再臨のメシアがいるのです』と言われるんですよ。そうすると、サクラになっている信者がわんわん泣き出して、そこへ文鮮明夫妻の写真をどーんと出されると、『再臨のメシア』だと思い込んでしまう」 「じゃあ、なぜそういうところへ惹かれていってしまう人がいるのか。統一教会が韓国でできてからもう68年経っているし、オウム真理教だって解散したけど分派は残っていて、今でもそこへ入っていく若者たちはいるわけですからね。教義と言ったって、ふつうは『なんじゃそりゃ』というものなんだけど、信じる人は信じてしまう」