”平成の大横綱”白鵬が引退会見で明かした真実…「型にこだわらない」相撲道が生んだ”功罪”とは?
45度の優勝、通算幕内1093勝など数々の大相撲記録を塗り替えてきた第69代横綱の白鵬(36)が1日、東京の両国国技館で師匠の宮城野親方(64、元前頭竹葉山)同席で引退会見を行い、21年にわたる土俵生活に終止符を打った。白鵬は誓約書に署名するという異例の条件付きで年寄「間垣」を襲名。今後は宮城野部屋付きの親方として後進の指導にあたる。「型を持って型にこだわらない」相撲を実践してきた白鵬は偉大な功績を残したが、その一方で、伝統を汚す問題行動で「横綱の品格問題」が賛否を巻き起こしてきた。”平成の大横綱”白鵬が角界に残した“功罪“とは?
名古屋場所の10日目に引退を決断
スッキリとした表情で横綱白鵬はマイクの前に座った。 「大変緊張しています。そしてほっとした気持ちでいっぱいです」 新型コロナ感染で宮城野部屋所属の力士全員が休場となった秋場所終了時に引退報道があり、宮城野親方を通じての相撲協会への引退届の提出、「間垣」襲名を巡る年寄資格審査委員会の招集、理事会での「誓約書」への署名という条件付きでの襲名承認の動きがあったが、この間、白鵬は沈黙を守り続けてきた。 現役引退を決めたのは、全勝優勝を果たした7月の名古屋場所の10日目だったという。 「最後の場所も、膝が言うことを聞かなくなり、そしてこの場所は10勝、2桁勝利が私の目標でありました。初日は必死の相撲で勝ち、そして若手との一番一番、決して簡単な取組はなかったと思います。その10勝の目標を達成した時に宿舎に戻り、親方をはじめ部屋の皆さん、裏方に『今場所で引退させていただきます』と伝えました」 家族にも告げた。お子さんからは「頑張って欲しい」と“物言い”がついたが、昨年8月、今年3月と半年で2度もメスを入れた右膝は、もう限界を超えていた。医師からは「私がやることは全部終わった。次また右膝を痛めた場合は人工関節になる」と通告された。 現役引退発表が、名古屋場所後に行われず、秋場所終了までずれこんだ理由は、東京五輪、パラリンピック前だったことや、照ノ富士の横綱昇進、宮城野部屋での新型コロナ感染などが重なったためだという。 「すべてを出し切りました。大相撲に入る時には横綱になりたいという夢はありましたけも、45回優勝したいという目標は立ててはなかったと思います。ひとつひとつの積み重ねがこの結果につながったのかなと。横綱に昇進するのも大変なことでありましたけど、それを14年間守り続けたということは、自分を褒めたいなと」 相撲人生に悔いはない。