今日引退会見。幼い頃は稽古を偽装したことも…万人に愛された豪栄道が貫いた侍相撲
大相撲の大関豪栄道(33、境川)が現役引退を決め、年寄「武隈」襲名を発表。今日29日の午前中に両国国技館内で引退会見を開く。かど番で迎えた今場所で5勝10敗と負け越し、史上10位の在位33場所を誇った大関からの陥落が決定し、土俵を去る決意を固めた。 当初は、春場所が進退場所になるとの見方が大勢を占めていた。大阪府寝屋川市出身とあって、3月の大阪場所は、ご当地場所。地元ファンの後押しを受け、大関復帰がかなう10勝を目指し、そこでダメなら引退も……という理屈だ。 実際、師匠の境川親方(元小結両国)も負け越し決定時には、現役続行を既定路線のように語っていた。ところが、その境川親方のコメントが千秋楽終了後、豪栄道の進退について「もう2、3日、結論を待ってほしい」と変化。千秋楽で平幕の阿武咲に下手投げで敗れた豪栄道も、支度部屋で思い詰めた表情を見せていた。実は、「負け越したら引退」との引き際を決めていたという。 千秋楽は、阿武咲とがっぷり四つに組みながら投げられた。5勝10敗。4勝11敗だった16年初場所以来の大敗に終わり「自分の持てる力は全部出し切ったと思います」と答えた後、春場所への抱負を問われると口を真一文字に結び、言葉を発しなかった。 同じ趣旨の質問を再度投げかけられてようやく口を開くと「今はまだ答えられません」―。負け越した時点で決めた引退の決断に迷いはなかったのだろう。 同じ「花のロクイチ」の徳勝龍が、20年ぶりの幕尻からの劇的な初優勝を飾った裏で名大関は土俵を去ることになった。 豪栄道とは、どんな力士だったのか。初場所13日目、錣山親方(元関脇寺尾)のコメントが、その答えだった。
貫いた愚直な立ち合い
「何も言い訳はしない。侍ですから」。 前日に朝乃山に敗れて負け越し、大関からの陥落が決まった後、豪栄道が「力がなかっただけ」とコメントしたことに対する感想だったが、的確な表現と言えた。 14年の名古屋場所で大関昇進を決め、伝達式で述べた口上が「これからも大和魂を貫いて参ります」。唯一の優勝は大関13場所目の16年秋場所。右を差し、左前まわしを引いての寄り切りなど、圧巻の内容で全勝優勝を果たしたのだが、決して「強い大関」ではなかった。 在位33場所で2桁勝ったのは6度。かど番は実に9度を数えた。それでも、業界内で、豪栄道を悪く言う者は皆無に近かった。 立ち合いは決まって左の踏み込みから、愚直に低く、真っすぐ当たる。絶頂期の白鵬をはじめ日馬富士、鶴竜らモンゴル勢に小細工なしに立ち向かう姿が多くのファンの心をつかんだ。稀勢の里とともに、日本勢の牙城を体を張って守ってきたのである。 しこ名の豪栄道は、本名の澤井豪太郎から「豪」を、母校埼玉栄高から「栄」をとったもの。母真弓さんは、「男の子なら”太郎”で、そこに好きな字の”豪”をつけました。一番、豪華な太郎でしょ?」と命名の理由を語っていた。 出産時、真弓さんの体重は25キロも増えていて、豪栄道は、4380グラムという大きな赤ん坊だった。 親戚などの間では、関西弁でやんちゃな悪ガキを表する「ごんた」をもじり「ごんたろう」と呼ばれていたそうだが、そのうち呼び名は「豪ちゃん」になって定着した。 相撲は小学校1年から始め5年の時に「わんぱく横綱」となったものの決して順風満帆ではなかった。 豪栄道が、「相撲は勝ったらおもしろいから、続けられたけど、辞めたいと思った時はあった。稽古は週6日で休みは月曜日だけ。小学校の6時間目になったら憂鬱で仕方なかった。さぼって友達の家に遊びに行って、タオルとかをドロドロに汚して帰ったりしたけど、やっぱりバレるねん」と、当時を述懐したことがある。