”平成の大横綱”白鵬が引退会見で明かした真実…「型にこだわらない」相撲道が生んだ”功罪”とは?
数々の記録と共に相撲界の常識を打ち破った横綱だった。 相撲関係者の1人は「相撲の可能性を広げた横綱だった」と表現した。立ち合いひとつをとっても、左足を深く踏み込んで左の前みつを取る、あるいは、逆に右上手を取る、突き上げて起こして四つに組む、左右の張り手で揺さぶるなどの豊富なバリエーションを持っていた。 引退会見で語った「基本を大事にして、まずは型を作って、その型が出来上がったときに型を破る。型を持って型にこだわらない」という相撲である。 だから「私も相撲人生の中では、たくさん技がある人はひとつも怖いことがなかったです。型を持った人間が一番怖かった」と言う。 それを支えたのが地道で激しい稽古だ。 宮城野親方は、「稽古をやるなと言ったことはあるが、やれと言ったことは1回もない」と努力を象徴するエピソードを語り「準備運動」を大切にしてきた姿を伝えたが、ストレッチなどの準備運動と共に、四股、腰を沈めての摺り足などの基本動作を徹底してきた。それを地方巡業中でも変わりなく行い、21年の土俵生活を支えた柔らかく粘り強い下半身を作りあげた。 モンゴルの軍隊式体操や、ヨガ、体調を整えるために「肥ることが仕事」の角界に「断食」を取り入れたこともあって周囲を驚かせた。その努力も「型にこだわらない」ものだった。 だが、その「型にこだわらない」行動は、度々、相撲界の伝統に反した。派手なガッツポーズに優勝インタビューで観客に呼びかけての万歳三唱や三本締め、審判批判、自ら判定に物言いをつけたこともあった。また“土俵外“でも、元横綱日馬富士の暴行事件に同席するなど3回も懲戒処分を受けた。取り口では、”エルボー”とも評された「かち上げ」や、度を越した張り手が、横綱の品格を汚す相撲だと批判された。 この日の会見でも、そのことについて質問され、こう答えた。 「横綱になれた頃は、自分の理想の相撲の『後の先』を追い求めた時期もありました。最多優勝を更新してからは怪我に泣き、自分の理想とする相撲ができなくなりました。横審の先生方の言葉通りに直したいという時期もありましたし、それを守った場所もあったと思います。だが、また度重なる怪我があり理想とする相撲ができなくなったというのは反省していますし、自分自身も残念に思っています」