ヒト「アフリカ起源説」覆る?人類最古の化石、ヨーロッパで発見
ヨーロッパにおける発見の意義
今回の研究おける最も興味深い事実はその発見場所だろう。この二つの化石標本はブルガリアとギリシャにおいて発見された。アフリカではなく「ヨーロッパ」という点に大注目だ。 というのも人類 ── 厳密には「ヒト族(Hominini)を含むグループ」 ── の祖先は、サハラ砂漠近郊のアフリカ大陸において初めて出現し、その初期の適応放散が進行したとする仮説、いわゆる「アウト・オブ・アフリカ説(アフリカ単一起源説)」を覆す可能性があるからだ。この仮説は主に、現在、人の遺伝子情報(ゲノム)データをもとに、今のところ非常に広く研究者からの賛同を得ている(Tattersall 2009参照)。単に仮説というよりは、より「事実に近い」事象として認められていると言ってもいいかもしれない。 Tattersall, I. (2009). "Human origins: Out of Africa." Proceedings of the National Academy of Sciences 106(38): 16018-16021. しかし、もし今回の研究チームが提案しているように、最古のヒト科(Hominidae)の化石がアフリカではなくヨーロッパ産だとすると、アウト・オブ・アフリカ説にとってはいささか都合が悪い。当然のようにこの分野の専門家から、いくつかすぐさま反論が唱えられている。 具体的には「化石種の判定」に大きな疑問が投げかけられている(New Scientistの“Our common ancestor with chimps may be from Europe, not Africa”の記事参照)。この二つの標本がヒト族のものではなく、よりヒト上科(Hominoidea)や「狭鼻下目(きょうびかもく;Catarrhini)」の直接の祖先に近かった可能性もあるはずだ(注:あくまで可能性として)。ヒトの進化系統というよりはサルの系統に属しているというわけだ。そして二つの化石標本の保存状態は、それほど優れておらず、化石の判定にはっきり疑問の目が向けられている点も挙げておきたい。 こうした今回の研究のように、それまで常識とされてきたようなアイデアから、大きく離れてそれを覆すような、又はつじつまのあわない事実や発見は、研究者泣かせではある。しかし化石記録や研究においてこうしたケースは数えあげるときりがない。ダーウィンが、その進化論を初めて発表した時に猛反発を受けた事実を持ち出すまでもないだろう。こうしたケースは以前にも何回か紹介した(「13万年前には到達?新世界アメリカ大陸人類史が一気に遡った形跡発見の報告」の記事参照)。 こうしたジレンマは、化石記録が非常に限られた生物進化の側面しか我々に見せてくれないという事実を目の前にすると、やむをえないだろう。化石として保存され、我々に発見されるのはほんのわずかなはずだ。(特に古いものや軟体動物になると天文学的な確率だろう。) そして、もし初期の人類の進化が、我々の想像を超える速度やマグニチュードで進んだとすると、その真実を突き止めるのは一筋縄ではいかない。例えば人類はその出現直後に、すでに広い地域に大陸をまたいで分布していた可能性はないだろうか?(その当時はパスポートやビザなど必要なかったはずだ。) もし今回の「ヨーロッパ起源仮説」が真実だとすると、どうして720万年前からその後のかなり長い間、化石記録はアフリカに偏っているのだろうか? もしかするとこの期間のアフリカの方が、ヨーロッパより気候や食べ物の関係上、住みやすかった可能性はなかっただろうか。 英語に「Show me the money」というフレーズがある。凡上の空論・アイデア・仮説などを聞かされるより、一つの確実な証拠が時として何倍もの説得力を持つことがあるものだ。今後この地域において新たなGraecopithecus(及びその近縁種)の化石探しが進むことだろう。今後の人類の起源に関する研究の行方に注目したい。