来年2月開催?代替試合?「オミクロン株」余波で延期となった村田対ゴロフキン、井岡対アンカハスの2大ビッグマッチの行方は
問題は村田のモチベーションだ。新型コロナの感染予防に万全を期すために都内のホテルに移って調整を続けていた村田はメキシコ人パートナーを相手にスパーリングを行っていたが、「過去最高の調子の良さ」を維持していた。5回TKOで勝利した2019年12月のスティーブン・バトラー(カナダ)戦以来、約2年間、試合から遠ざかっているがブランクは感じていなかった。 会見でも「試合はやってみないとわからないが、練習はずっとやっていたので、それ(ブランク)は感じない」と断言していた。 なおさらショックは大きいだろう。 実は、昨年の5月から数えて村田の試合が新型コロナウイルスの影響を受けて流れるのは、これが7回目となる。今年の5月に予定されていたゴロフキン戦に向けての前哨戦では、すべての準備が整い、あとは対戦相手がビザを現地の大使館で受け取れば終わりというところまで進んでいたがドタキャンされた。2年もの間、実際のリングには上がっていないものの、準備、キャンセル、準備、キャンセルが続き、一度として精神的に解放されることはなかった。つまり試合に向けた緊張の糸だけがずっと張られてきたのだ。 先月行われた会見で、村田は「(試合のできなかった2年は)悪い時期ではなかった。医療従事者の方やお亡くなりになった方、家族の方がいて、言葉じりを取られると誤解を受ける。そういう意味じゃなくあくまでも僕個人の問題の発言と理解して欲しいのだが、外に出れず自分の内側と向き合えた。何を得たかと言えば得ていないが、思う通りにならず何かを失うということを2年間、経験できた」と気丈に話した。 読書家で、哲学者のように自己と向き合い、誰よりも強靭なメンタルの持ち主である村田であっても、さすがに日本のボクシング史を塗り替える世界的注目のビッグマッチが、予期せぬ「オミクロン株」の出現によって、突然、流れたのは、もう限界を超える衝撃的な出来事だっただろう。彼の心情を思うと胸が痛くなる。 それでも村田は、この日、夕方になって自身のインスタグラムを更新。 「楽しみにしてくださった皆様、年末のスケジュールを頂戴していた皆様に心より御礼とお詫びを申し上げます。感染防止のため、早急に決定した政府の対応に賛同し、支持いたします。ゴロフキン選手との試合開催に向けて、尽力くださった皆様に心より感謝すると共に、ミドル級で世界タイトルを行うという大きなリスクを背負いながら、共に歩んでくださっている全ての皆様に、改めて感謝いたします」と、丁寧にお詫びと感謝の言葉を伝えた上で、自らの決意をこう書き込んだ。