《ブラジル》記者コラム=第1アリアンサが一世紀の節目=弓場農場健在、記念石碑を序幕
記念石碑序幕と記念祭
当日は14時から北原地価造広場で100周年記念石碑の除幕式が行われ、100人ほどが出席した。石碑には「神光満天地 ありあんさ入植100周年記念之碑」と刻まれている。同公園左奥には「阿りあんさ最初之入植地点」という1955年に建立された石碑がある。アリアンサ開始地点に100年の石碑も序幕された。石碑は昨日ギリギリに到着したばかりで、主催者一行はヒヤヒヤしていたという。 弓場農場のコーラス隊がハレルヤなどを歌った後、記念ミサが行われ、安田じゅん、熊本小次郎両牧師らが説話をした。続いて石碑のテープカットと序幕が行われ、来賓として開拓者親族代表で永田翼氏は「祖父の永田稠は『コーヒーより人を作れ』と唱えた。ここで皆さんが頑張った成果が今日であり、次の100年にどうつないでいくかも皆さん次第」と述べ、石碑建設などに支援した宮坂国人財団の西尾ロベルト理事長も「この石碑は200周年に向かう第1歩だ」、ブラジル力行会の吉岡黎明氏は「父が19298年に第3アリアンサに入植し、私が生まれた」と述べ、ノロエステ日伯連合会の本田秀人会長も祝辞を述べた。 その後、会場を第1アリアンサ会館に移動し、改めて100周年記念祭を15時半から行った。最初に先没者への黙祷、両国歌斉唱、阿部守一県知事からのビデオレターが上映され、続いて関副知事は「JICAボランティアの赤羽晋治さんの活躍が地元テレビで放送され、長野ではアリアンサはサンパウロより有名になりました。今日はその強い絆を再確認する日になりました。これを引き継いでいくよう、日本語学校支援などを続けていきます」と強調した。 さらに清水享在サンパウロ総領事は「100年経ってもここでは色濃く日本語と日本文化が残っている。これは先人の努力と日本語学校の成果」、庄司アレシャンドレ長野県人会副会長も「次の100周年に期待します」と挨拶し、宮崎明博JICAブラジル所長も「今後も可能な限りの支援を惜しみません」と約束した。 県から記念品の交換、75歳以上の高齢者に記念品贈呈が行われ、長寿者を代表して庄司昭さんが「次の100年を乗り越えられるように」と次世代にエールを送った。くす玉割り、鏡開きが行われ、青年会の庄司孝会長が「みんなでより良いアリアンサ村を作っていきましょう」と次世代を代表して抱負を述べた。 最後に晩さん会および日本語学校生徒の発表となり、移民史クイズなどが日本語で行われた。8時間かけてじっくりと炭火で焼いた水牛のアバラ肉なども振る舞われ、来場した350人は心行くまで舌鼓を打った。 ミランドポリス市長のエデルソン・パンタレオン・デ・ソウザ氏は「ブラジルを約束の地だと信じてくれてありがとう。日本文化はわが市の文化向上に貢献してくれている。2028年という私の市長任期までの間、全力で皆さんに手を貸すことを誓う」と感謝した。 序幕された石碑には第1アリアンサは日系74家族(252人)、第2は32家族(105人)、第3は36家族(89人)とある。200周年には、どうなっているだろうか。(深)