凱旋試合・未明の緊急搬送「肺がつぶれている」/星野陸也の欧→米ルート<前編>
パインハーストでカムバック
トレーニングが解禁された5月下旬、ランニングを始めたはいいが「200、300m走っただけで息切れしてしまう」ほど心肺機能は衰えていた。復帰時期を探っていたところ、6月の「全米オープン」に出場できることが分かった。会場は主催の全米ゴルフ協会(USGA)のおひざ元であるノースカロライナ州パインハースト。巨大ゴルフリゾートの「No.2コース」は世界屈指の難コースとして知られている。 状態を考えれば“戦えない”と分かっていながら、渡米を決めた。「ゴルフから離れて、プレーする感覚がなくなった。パインハーストほど難しければ、究極に神経を研ぎ澄まさないといけない。だからこそ、そういうコースで回れば感覚は戻るんじゃないかと。出てみたら案の定、試合勘が一撃で戻ってきたんですよね」。2日間で「78」「81」をたたき、予選落ちに終わっても、得たものは大きかった。
アムステルダムでの混乱
“一撃で”よみがえったゲーム勘。しかし星野の苦悩はそこから本格化した。全米オープンの翌週、オランダの「KLMオープン」から欧州連戦に入ったが、気胸発症以前のスイングの感覚、身体の動きが思い出せない。 「グリップを握る強さが分からない。左手を強く握ることは分かっていたけれど、右手でどれくらい優しく握っていたのか…」。海外のほとんどのコースは日本のゴルフ場よりも地盤が固く、グリップ圧が弱いと、アイアンショットなどでヘッドが簡単に弾かれる。だから、右手におのずと力をこめるようになった。悩みの時間は昼夜を問わず、両こぶしを強く握りしめたまま目覚めた朝もあった。 「テークバックも、どこの筋肉を使って上げていたか分からない。クラブが重く感じるし、ヘッドが自然と開いてしまう。スイングの軌道も、インパクトでヘッドがどこを向いているかも分からない。人生で初めて“打ってみないと球がどこに飛ぶか分からない”状況だった」
ミュンヘンでの天啓
手の施しようがない窮地で「感覚が戻るのをガマンして待つ」ことを決めた。「そこでスイングを大幅に変えようとしたら、イップスになるかもしれないと思った。開いて入ってくるクラブを、無理やり閉じようとしたりすれば、余計に分からなくなるかもしれない」。離脱期間とシーズンの残り試合を考えれば当然、焦った。PGAツアーに続く扉を開く千載一遇のチャンスが目の前にある。それを手放す可能性があっても、もっと大きなリスクを避けるべく事を急がなかった。 決断は吉と出た。7月、ミュンヘンで行われた「BMWインターナショナルオープン」。復帰4試合目で6位になった。 「ドイツの火曜日、朝の練習場でいきなり天から降ってきたみたいに、手の感覚が戻ったんです。グリップを握る強度も、テークバックの動きも50%くらい戻った。もうそれがうれしくて。結局戻すのに6週間かかったけれど、これで次にスイングに何か起こった時も戻せるという自信にもなりました」