松坂大輔と上重聡。今夏、2人は大阪のコースで闘った【甲子園の名勝負から26年】
今年も夏休みが終わった。「そうえば、昔、あんなことがあったな」と、ふと思い出に浸った人も少なくないのでは? この二人もきっとそうなのだが、何せその思い出がとてつもなく印象的で、本たちどころか、日本の多くの人が“二人の夏”を共有している稀け有うな事例だ。PL学園出身の上重聡と横浜高校出身の松坂大輔。あの激闘からもう26年。しかし、二人の夏は「まだまだ終わっていません」(上重)という。2024年9月24日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、二人の姿を大阪に追った。
松坂大輔
横浜高3年時にエースとして甲子園春夏連覇。球速150km/hの大台を突破し、夏の決勝でノーヒットノーランを達成するなど超高校級の活躍で「平成の怪物」と称された。現在はアマチュア日本一を目指すべく、国内ツアーに参加するなどゴルフ界で精力的に活動している。
上重聡
PL学園時代にはエースとして春夏連続甲子園に出場、夏はベスト8の成績を収める。現在は日テレから独立しフリーアナウンサーとして活動する傍ら、同世代の松坂大輔とともにゴルフに励む。2024年5月3日に成田ゴルフ倶楽部(172Y・パー3)にて人生初のホールインワンを達成。
二人の戦いの舞台はフェアウェイへ
夏の甲子園がまだ始まる前の7月末、上重と松坂は二人とも太子カントリークラブ(大阪府)にいた。河内郡太子町にあるコースで、富田林市のPL学園からほど近い。「負けるつもりはありません」と上重、「暑さ? これくらいじゃあ全然」と松坂。元高校球児の気力と体力はケタ違いだ、特に夏は。
横浜高校とPL学園高校の随一の名勝負といえば1998年8月20日。9回を終えて5対5のまま延長に突入、当時はまだタイブレークのシステムはなかった。11回表に横浜高校がエラー絡みで1点を奪ったが、裏にPLはヒット2本で1点。16回表、横浜は内野安打などで1アウト満塁。1点も許せないPLは思い切った前進守備。スクイズがありそうな場面だったが投手・上重はキャッチャーに「スクイズを察知したら目で合図をするから」と言って勝負。バウンドの高い内野ゴロで1点入り、横浜が延長で2回目の勝ち越し。「終わった」と誰もが思った裏の攻撃でPLはヒットとエラーで1アウト3塁。すると内野ゴロの間に1点が入り同点。流れが横浜とPLを行ったり来たりした。結果はご存じの方が多いだろう。延長17回の表に横浜が2ランホームランで2点。PLはマウンドに仁王立ちする松坂の前に惜敗。松坂のその日の投球数は250だった。 負けたPLの選手のなかには号泣する者もいたが上重は「自分がやってきたことを全部出せた」と泣かなかった。「試合で負けたことに泣いている人はいなかった。多分自分のプレーに悔いが残ったのでは」と当時の上重は語っている。