常に奪われる側の横に立ち、奪う側を問う視線は、読者にも注がれる―マシュー・デスモンド『家を失う人々 最貧困地区で生活した社会学者、1年余の記録』武田 砂鉄による書評
貧困問題を社会構造ではなく自己責任だと断じる人は、今、貧困状態に陥っているわけではない人が多い。そんな人の目の前に整っている暮らしは、実際のところ、いつ崩れてしまうかわからない。自分の身体であろうが、周囲の環境であろうが、次の瞬間、崩れてしまうものかもしれない。自分はそうではないから、という冷たさは、一体どこから生まれてしまうのか。 『家を失う人々 最貧困地区で生活した社会学者、1年余の記録』(マシュー・デスモンド著、栗木さつき訳・海と月社・2860円)に、「家は、そこに暮らしている人の個性の源泉でもある」とある。その源泉を奪う人がいるのだ。 アメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーの最貧困エリアで共に暮らしながら、その生活さえ揺さぶられている人たちの声を聞く。法外な家賃をふっかけられ、払えなければ追い出される。こういった地域で暮らしている人たちを見て、「貧困ラインのはるか上で高みの見物を決めこんでいる人たち」は「怠惰」と思うかもしれないが、「じつは生きるためのペース配分の技術」なのだと著者は強調する。限られたエネルギーで生き抜くため、枯渇しないようにするため、静かにとどまるしかない。時に、雪を食べてしのぐ人さえいたという。 アメリカでは個人の信用情報が社会保障番号と紐づけられ、滞納などが記録される。その信用情報について、金を払えば回復させると提案するビジネスが出てくる。こうなったのはあなたのせいなのだから、あなたが頑張らなければならないという動きが加速する時、そこには常に金の臭いが立ち込める。 逃げ道を限定し、搾取する仕組みを強化する。貧困問題について「不足しているもの」は何かと注目してきたが、「根強い貧困の一因が搾取」であり、「スラムはおいしい」と考える連中を真っ先に問うべきと著者。共に暮らしながら得た声を、何も知らなかった自身の罪悪感にぶつけながら記す。常に奪われる側の横に立ち、奪う側を問う視線は、読者にも注がれる。 [書き手] 武田 砂鉄 1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。 [書籍情報]『家を失う人々 最貧困地区で生活した社会学者、1年余の記録』 著者:マシュー・デスモンド / 翻訳:栗木さつき / 出版社:海と月社 / 発売日:2023年11月30日 / ISBN:4903212823 毎日新聞 2024年1月20日掲載
武田 砂鉄
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