中学受験「1月に小学校休むか問題」に“異変”…欠席賛成派でも「やり過ぎ」と眉をひそめる実態とは
■中学受験「成功」の本当の意味 続けて、「受験勉強が大変でも、義務教育の6年生は学校に通うべきだと考えるか」と質問すると、同じようにほぼ全ての区教委が「基本は保護者の判断や児童の意思を尊重する」と回答した。中には、「(中学受験を)人生の一大事と認識している児童もおり、『ならば思い切り受験勉強を頑張れ』と応援する気持ちも教育現場にはある」と現代的な意識を持つ区教委もあった。また千代田区の教委は「区内の公立中学校の魅力も高めていきたい」と意欲を示した。 教育評論家の親野智可等さんは静岡県の公立小学校で23年間、教員を務めた。その頃も中受に挑戦する児童はいたが、「私が教壇に立っていた頃は、受験のために学校を休む子どもはいませんでした」と振り返る。 「受験で小学校を休む児童の存在が教育現場でクローズアップされたのは2000年代に入ってからで、ここ20年くらいの動きだと思います。大前提として日本の教育現場に私立校が存在し、学校独自の個性ある教育を実践していることは非常に価値があります。独裁国家に教育の自由、進学の自由が存在しないことを考えれば誰でも分かります。とはいえ、やはり小6の長期欠席は中受の異常な過熱、行きすぎた中受ブームを象徴するものと解釈すべきではないでしょうか」 その一方で、親野さんは中受が「人生の岐路」と最重要視する保護者の気持ちも「分からないではない」と理解を示す。志望校の合格には並外れた努力が必要であり、学校を休んでも必死に受験勉強したことが子供の“成功体験”として記憶されることも否定はしないという。 「ただし、中受で成功を収めたことが自身の成功体験にとどまらず、他のクラスメートをバカにするような風潮につながるとすれば、それには強い危惧を覚えざるを得ません。『私は努力して志望中学に合格した。成績が悪いクラスメートは努力が足りないのだ』という考えは、努力しても成績が伸びない小学生の存在を忘れています。そしてキャリア官僚など“日本のエリート層”の一部は大人になっても学校の成績や学歴で人を評価する傾向があります。これこそ偏差値教育の最大の弊害であり、その原点が中受とならないように、長期欠席も含めて考えるべき問題ではないでしょうか」 中学受験の「成功」とは志望校に合格することだけなのか。1月の長期欠席問題は、そのテーマを考える契機となりそうだ。 (井荻稔)
井荻稔