秋篠宮さま56歳に(会見全文)深く人を傷つけるような言葉は許容できるものではない
「公」と「私」の概念に当てはまるのかは少し疑問
秋篠宮さま:皇室のあるべき姿、これは上皇陛下が言われていた「国民と苦楽をともにし、そして国民の幸せを願いつつ、務めを果たしていく」、これが基本にあると私は思います。そして、それとともに、やはり時代というのは変わっていきますので、その変化にも即した皇室であることが大切ではないかというふうに思っております。 で、その上で「公」と「私」を考えますと、これは私は、「公」は常に「私」に優先されるべきものだと思います。もちろん、例外は存在すると考えますけれども、「公」は「私」に優先されるべきものでありましょう。 一方それでは、今の一連のご質問にあった娘の結婚のことと、この「公」と「私」のことを合わせて考えてみますと、これはどうなんでしょう、「公」と「私」というものにうまく当てはまるものなのかどうか、という気もいたします。彼女は結婚するまでの間、皇族でいる間、公的なものと私的なものの場合には、常に公的なものを優先してきている、と私は思います。これは海外の訪問も含めてですね。 で、論調の中の一部に「娘が公よりも私を優先させた」というのがありましたけれども、仮にもし結婚するという、これは私的なことだとは思いますけれども、を優先させたとしても、結婚することを公にしてからすでに4年経っているわけですね。もし、それを優先させているということになれば、10年経っても20年経っても結婚はできないということになるかと思います。まあ、そのようなことから、直接的に「公」と「私」という2つの概念に当てはまるのかというのは、少し疑問に思いました。 そうですね……はい、もう1つありましたね。
ネットの書き込み「相当ひどいことを書いているものもある」
幹事社:複雑性PTSDと診断された眞子さんの体調に影響を与えたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについて、どのように思われますでしょうか。 秋篠宮さま:そうですね、週刊誌、これは文字数の制限っていうのはあります。一方で、ネット上のものというのはそういう制限がほとんどないわけですね。なので、その2つは分けて考える方が良いのかなというふうに思います。 で、娘の複雑性PTSDになったのがおそらく週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうとは思いますけれども、私自身、それほどたくさん週刊誌を読むわけでもありませんけれども、週刊誌を読んでみると、非常にその、なんて言いましょうか、創作というか、作り話が掲載されてることもあります。一方で、非常に傾聴すべき意見も載っています。そういうものが1つの記事の中に混ざってることが多々あります。 ですので、私は確かに自分でも驚くことが書かれてることはあるんですけれども、それでもってすべて否定するという気にはなれません。 一方、ネットの書き込みなど、これも私はそれほど多く見ることはありません。何と言っても、1つの記事に対してものすごい数のコメントが書かれるわけですので、それはとても読んでいたら時間も足りませんし、目も疲れますし、読みませんけれども、中には確かに相当ひどいことを書いてるものもあるわけですね。 それはどういう意図をもって書いているのかは、それは書く人それぞれにあると思いますけども、ただ、今ネットによる誹謗中傷で深く傷ついてる人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。やはりそういうものについて、これはあの、なんて言いましょうか、今ネットの話をしましたけれども、誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ、私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。以上です。