追悼:2024年に亡くなった著名人
6月6日 槇文彦(まき・ふみひこ)さん(95)=建築家
東京・代官山の複合施設ヒルサイドテラス、南青山のスパイラル、京都国立近代美術館、幕張メッセ、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスなどを手掛けた日本建築界の巨匠。1993年にプリツカー賞を受賞。海外では2013年、米同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センター跡地に、4ワールドトレードセンターを竣工させた。1928年、東京生まれ。母方の祖父は竹中工務店会長を務めた竹中藤右衛門。東京大学工学部建築学科で丹下健三に師事し、黒川紀章、磯崎新らとともに研鑽を積んだ。米ハーバード大学に留学し、同大助教授などを経て、65年に槇総合計画事務所を設立。79年から89年、東京大学教授を務めた。2013年、東京五輪の主会場となる新国立競技場について、ザハ・ハディド・アーキテクツのデザインに基づく当初案を「巨大すぎる」と指摘し、論争を巻き起こした。
7月10日 徳田虎雄さん(とくだ・とらお)(86)=医師、政治家
「命だけは平等だ」と唱え、裸一貫から日本最大の病院グループ「徳洲会」を一代で築き上げた。衆院議員を4期務めたが、初当選前の1983年と86年の衆院選鹿児島・奄美群島区では自民党の現職、保岡興治と激しい選挙戦を繰り広げ、買収や贈賄、選挙賭博などで双方に選挙違反の検挙者が続出して「保徳戦争」と称された。1938年、兵庫県に生まれ。鹿児島県・徳之島で育つ。小学校3年生の時に幼い弟が救急医療を受けられず、急病死したことをきっかけに医師を志した。大阪大学卒業後、勤務医を経て、1973年に大阪府松原市に「徳田病院」を設立し、「24時間常に救急患者を受け入れる」「患者からの贈り物は受け取らない」などの方針をアピールし、次々に病院を建設した。2002年に全身の筋肉が萎縮する筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病。2013年には親族が公職選挙法違反で逮捕されるなど不祥事が続き、病院経営から退いた。
8月1日 桂米丸(かつら・よねまる)さん(99)=落語家
落語芸術協会会長を1977年から99年まで務めた、落語界の最長老。新作落語一筋で、90歳を越えても寄席の舞台に上がってファンを笑わせた。1925年、横浜市生まれ。本名・須川勇。生家は港湾荷役業の元締め須川組で、二代目の父親の三男として生まれた。戦後すぐの46年、五代目古今亭今輔に入門。古今亭今児で47年に寄席デビューし、49年にはわずか3年で桂米丸を襲名して真打昇進した。落語界の売れっ子であるとともに、ソフトな語り口と都会的なスマートさを持ち味に、テレビ黎明期のスターとして全国のお茶の間に知られた。弟子に桂歌丸(故人)、桂米助らがいる。最後の定席出演は2019年9月の新宿末広亭下席で、実に72年間にわたって寄席で活動した。1992年、紫綬褒章受章。