追悼:2024年に亡くなった著名人
4月6日 曙太郎(あけぼの・たろう)さん(54)=元横綱
外国出身者で初めて大相撲の横綱(第64代)となり、幕内優勝11回の成績を残した。引退後は相撲界を離れ、格闘技やプロレスにも進出した。1969年、米ハワイ・オアフ島生まれ。旧名チャド・ローウェン。高校ではバスケットボールで活躍。大学中退後、東関親方(高見山)にスカウトされて88年に初土俵を踏んだ。身長2メートル3センチ、体重233キロ(いずれも日本相撲協会の歴代横綱紹介ページの数字)という体格で、突き・押しの相撲で順調に番付を上げ、92年名古屋場所で大関、93年初場所後に横綱に昇進し、貴乃花や若乃花とともに一時代を築いた。ひざの痛みから94年以降は休場が目立ち、2001年に引退を表明。曙親方として後進を指導していたが、03年に相撲協会を退職して格闘技K-1に電撃転向し、同年の大みそかにボブ・サップと対戦(KO負け)した。1996年、日本国籍を取得。
4月21日 フジコ・ヘミングさん(92)=ピアニスト
1999年放送の、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組『フジコ~あるピアニストの奇跡』が大きな反響を呼び、2000年代に国内外で精力的に活動した。波乱万丈の人生と、情熱的な演奏から「魂のピアニスト」とも称された。1931年、ピアニストの大月投網子(とあこ)とスウェーデン人の画家との長女としてベルリンで生まれる。幼少期から日本でピアニストとして頭角を現すも、16歳の時に病気で右耳の聴力を失う。29歳でドイツに渡り、本格的な演奏活動を始めようとしたタイミングで高熱を出して一時的に左耳の聴力を失うなど、困難続きの人生だった。ウィーンやストックホルムでの生活を経て、日本に帰国したのは、母の死の2年後の95年。母校の東京芸大・旧奏楽堂などで演奏活動を行い、番組放映後の99年10月には東京オペラシティコンサートホールで「復活リサイタル」を行う。同年8月にデビューCD『奇跡のカンパネラ』も発売され、フジコ・ブームが日本クラシック界に巻き起こった。