ダウン症のある娘がハワイ留学で実感、障がいの有無に関係なく誰にでも「選択肢」がある社会
待望の第一子を産んだ直後に、ダウン症と知らされたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。出産当初は娘がダウン症である事実を受け入れることができず、誰にも明かせないまま、自殺を考えるほど思いつめた時期もあったという。 【写真】ハワイ留学をした長谷部さんの娘さんの新しいチャレンジ 「大好きで大事で大切な娘のことを、出産当時なかなか受け入れられなかった自分を、娘に許してもらいたい」――そんな思いから、長谷部さんが覚悟をもって当時の自らの思いと向き合う気持ちで始めた本連載。娘さんは、16歳になり、今年中学校を卒業した。そして、その後、家族で世界一周の旅に出るという新たな挑戦も行っている。 第10回の今回は、今年夏に新たなるチャレンジとしてスタートした、娘さんのハワイ本留学をお伝えする。前編では留学準備について寄稿いただいた。後編では、学校生活が始まるまでのプロセスと、今娘さんが夢中になっている課外活動について引き続きお届けする。
本人の意見や意志が重要視される選択
アメリカでは、学校にコーディネーターが常駐していて、生徒、保護者と学校、特別支援に関わる専門家や州の教育当局などとを繋いでくれることもあり、娘の入学手続きはトントン拍子で進んでいきました。そして、入学前には、娘に特別支援教育を受ける資格があるかどうかについて、アセスメント(評価・査定)が必要になるとのことで、ハワイ州の教育当局からカンファレンスの招待状が届きました。 行ってみると、なんと、娘一人のために、副校長や特別支援教育の先生、カウンセラー、通常教育の先生、言語聴覚士、 英語(国語)の先生など、コーディネーターを含め8名もの専門家が集まり、娘がこれまで日本の学校で、どんなことを学んできたか、今、どんなことが出来るのか、何が足りないのかなど、話し合いが行われました。 私からは、娘の小学校、中学校の「あゆみ」や個別指導計画書などを英訳しながらコーディネーターに事前に伝えておいたため、当日は、自分の好きなこと、得意なこと、チャレンジしたいことなどについて娘は聞かれていました。 この日、話し合われたことはコーディネーターにより、すべて言語化され、文書にまとめられ、娘本人、及び親が間違いないことを確認し署名します。娘にはダウン症候群があることの他に、英語という言語や、アメリカの文化や生活に関わる基本的な知識や理解などが必要であることから、アメリカの特別支援教育を受けるに値すると判断されました。 アメリカの特別支援教育は、IDEA (Individuals with Disabilities Education Act:障がい者教育法)という法律によって「障がいのある生徒一人ひとりのニーズを満たすために特別にデザインされた教育」が無償で提供されることが決まっています。 IDEAは、21歳までの生徒を対象とした教育に関する法律で、障がいのある生徒たちも可能な限り、同年代の生徒と一緒に教育を受けることも定められていて「インクルーシブ教育」が実現されています。あわせて、通常であれば18歳で高校を卒業するところ、本人が希望すれば、21歳までは高校に在籍しながら、無償で適切な公教育が提供されることも定められています。 さっそく、IDEAに基づき、娘のIEP(個別教育計画)策定のためのミーティングが開かれました。個別の達成目標や教育サービス、評価基準、スケジュールなど詳細な計画が立てられ、これに基づき、選択科目やホームルームを含め、個別の時間割が決められていきました。入学手続きから、わずか1ヵ月の間に急ピッチでこうしたことが進められていくのです。 そういったスピード感にも驚きましたが、これまで日本では担任の先生と親とで毎回、話し合っていた個別指導計画が、アメリカでは娘本人が会議に参加したことでした(希望すれば通訳の方も無償で付けていただけます。)それによって本人の意見や考えが尊重され、反映されること、そして専門家たちが入ることで、担任の先生への要望など、親が言い難い類のことも代弁してもらえ、専門家と先生が互いに指摘し合えたりする仕組みが整えられているのです。これには驚きと共に大きな安心感を覚えました。