パリ五輪スケボー金メダル、吉沢恋選手を育てた名店を訪問 相模原から世界へ続く滑走路
相模原には、小山公園を中心に、寺井さんの思いを形にできる土壌がある。現に、年に1回、小山公園で開催される大会「OYAMA CUP」も、相模原の不動産会社や美容院、パン屋などローカルの企業からサポートを受けている。「僕も昔は、店頭に『小山公園にいます』という貼り紙だけ残して営業中でも滑りに行っていました。携帯が鳴って店に戻るみたいな(笑)。相模原にはそれを許してくれるカルチャーがあります」。街全体が、スケートボード選手を世界に送り出す滑走路のようだ。
競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード
「日本のスケートボードは未来しかない」と語る一方、スケートをめぐる環境がかつてとは違ってきたことも誰よりも実感している。「専用のスケート施設はできていますが、道路走行に対する法規制は年々厳しくなっていますよね。つまり、競技としてスケーターのスキルは上がっているけれど、本来のカルチャーからは遠くなっている。もちろん人に迷惑をかけてはいけないことは前提ですが、僕はこのカルチャーとしての側面を忘れずにいたいですし、子供たちも頭の片隅に置いてくれたら嬉しいです。今後はその発信もしていけたらと思っています」。
次回のオリンピックの注目選手を尋ねると、迷わず「恋ちゃん」と答えた寺井さん。開催地であるロサンゼルスは、スケーターにとってメッカのような存在。ロサンゼルスオリンピックでも、相模原の小さなスケボーショップの快進撃に期待だ。