パリ五輪スケボー金メダル、吉沢恋選手を育てた名店を訪問 相模原から世界へ続く滑走路
バンクーバーでは、船橋春貴という寺井さん憧れのプロスケーターにも会うことができた。そしてこれが転機になった。寺井さんは、「あんなふうにうまくなれるのか、確信もなく帰国しましたが、帰国後、僕がバンクーバーで見たような人たちはプロ中のプロだったと気づいたんです。正直、僕もプロという枠組みの中に入るだけならできるかもと思いました」と振り返る。プロになりたいという野心が芽生えたのはこのときだ。
プロになるには、スポンサーを付けなければならない。そして、スポンサーを付けるには、大会で結果を残さないといけない。そう考えた寺井さんは、25歳のとき、人生で初めてスケートボード大会に出場した。「最初の大会は、ビリから2番目という結果でした。その後、『100回トライして1回決まれば良い』という慣れ親しんだスケボーだけでなく、『1回のトライで決め切る』という大会で勝つためのスケボーを練習し始めました。この練習を繰り返し、27歳くらいのときには第一線で活躍するスケーターと肩を並べられるようになりましたね。そしてついに、27歳で出場した『DC CUP』で3位を受賞し、スポンサーを付けられることになりました」。(スケートデッキの下に付ける金具の)「ロイヤルトラック」や(タイヤの中に入れる金具の)「ザ ベアリング」、他にもスケボーショップや洋服ブランドからサポートを受けるようになった。
スポンサー契約後も、サラリーマン生活を続けながら変わらず小山公園で滑る毎日だったが、30歳くらいのとき、ふと何か物足りないなと感じた。小山公園付近には、そこで練習する将来有望な子どもたちをサポートする場所がなかったのだ。「熱心に滑っているとスケートボードはよく壊れる。タイヤの修理も、みんな八王子にあるスポーツ専門店に時間をかけて行っていました。僕はそれが悔しくて。じゃあ僕がここで店をやろうと思いオープンしたのが、スケボーショップ『アクト エスビー ストア』です」。