人生の最期「病院か在宅医療か」正解がわかった…!慣れ親しんだ家こそ「理想的な逝き場所」といえる理由
家族に見守られて
病院の場合、消灯時間も決まっているため、野球中継さえ満足に観られない。些細なことかもしれないが、野球と酒を愛した父にとっては、この二つを奪われることは生きる楽しみを失うに等しかっただろう、と誠さんは言う。 「亡くなるまでの最後の一週間は、モノも満足に食べられませんでした。それでも、慣れ親しんだ自分の部屋で、これまでの人生を振り返っていたと思います。穏やかな顔で最期の時を迎えるのを、家族で見守りました。 病院だったら、父の死の瞬間にも立ち会うことはできなかったかもしれませんし、一緒の時間を満足に過ごせなかったでしょう。多少の苦労はあっても、いまは、父の願いを叶えられてよかったと思っています」 誠さんの父のように、自宅で家族に見守られながら安らかに逝くケースはまれだと思われるかもしれない。しかし、なにも彼らは難しいことをしたわけではない。最期を迎える場所を、自分たちで選んだだけなのだ。
最後まで主人公でいる
「相応の準備と周囲の理解があれば、自宅でその時を迎えることは、難しいことではありません」と語るのは、在宅医療に30年以上携わってきた、東郷医院院長の東郷清児氏だ。 「どのように生き、どこで人生を終えるのかを決めるのは自分です。いまは自宅で最後を迎えるための制度も医療や介護の体制も整っている。自宅で最後を迎えることの意味もしっかり考えて、人生のなるべく早いうちに『どこで死にたいか』の答えを出し、その準備を進めるべきです」 東郷氏は「自宅で逝くということは、最後まで自分が主人公として人生を生き抜くこと」とその意義を強調する。 「先日、厚労省が『入院中の患者さんがどこを見ているのか』という、入院患者の視点を探った調査結果を公表しました。その結果は『入院中、窓際のベッドにいる人は窓の外を見続け、壁際の人はほとんどの時間、壁を見ている』というものでした。 自明の結果ではありますが、改めて、人生の最後の時間を病院の壁や窓の外、天井を見て過ごすだけでいいのかという思いを強くしました。一度病院に入ると、死ぬまでただぼうっとする生活になりがち。そこに生きがいや喜びは少ないでしょう。 結局、病院を最期の場所にしてしまうと、自分が脇役になってしまうのです。食事の内容も食事をする時間も病院で決まっているし、テレビだって遅くまでは見られません。朝寝坊もそうそうできない。 できるだけ食べたいものを食べて、自分が望むリズムで生活できる。それが在宅の大きな利点です」