石畳の雄大な広場「グラン・プラス」にきらめく夕日 過去と現在が交錯する街ブリュッセル 芸術家フォロンの祖国㊤
日本から約9300キロ離れた欧州に位置するベルギー王国。北海道の約3分の1の国土ながら、首都ブリュッセルには欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)の本部が置かれる欧州の要衝(ようしょう)だ。そんなベルギー出身の世界的芸術家、ジャン=ミッシェル・フォロン(1934~2005年)の回顧展が来春、大阪で始まるのを前に同国を訪れ、過去と現在が交錯する街の魅力に触れた。 【写真】オランダ語とフランス語で表記されたブリュッセル市街地の標識 雨上がりの抜けるような青空に、中世の趣が感じられる白やクリーム色の建物が映える。ブリュッセル空港から車で約1時間、「欧州らしさ」を感じられるブリュッセル中心部の町並みに、長旅の疲れが吹き飛んだ。 「道路標識は、フランス語とオランダ語の2カ国語で表記されています」。同行してくれたベルギー王国ワロン地域政府貿易・外国投資振興庁日本代表のクレール・ギスレンさんが説明する。 フランス、オランダ、ドイツの3国に接するベルギーには母国語がなく、フランス語とオランダ語、ドイツ語が公用語として使用されている。主に使われる言語は地域によって異なり、ブリュッセルはフランス語とオランダ語の地域が混在しているためこうした表記になっている。 クレールさんはベルギーの南半分を占めるフランス語圏のワロン地域出身。母国語がないため「国民」という意識は希薄で、「人々は生まれ育った言語圏のアイデンティティーを持っている」と話す。 言語の違いは王室の公務にも影響するという。「国民に公平に接するため、話すときは相手の言語に合わせるんです」とクレールさん。日本人にはない感覚がとても興味深かった。 ベルギーはもともと、フランスやオランダの支配下にあり1830年に独立したが、大国と隣接することから「欧州の緩衝地帯」となってきた歴史がある。ブリュッセル中心部に向かう道すがら、車から見えたEU本部とはためく欧州旗が、何よりもその歴史を雄弁に物語っていた。 現地を訪れた4月半ばは午後8時を過ぎてもまだ明るい。ホテルに荷物を置いて、市街地の散策に向かった。