平野啓一郎さん「富士山」インタビュー 現代社会と向き合い生まれた短編集
平野啓一郎さんの最新刊は、「些細なことで人生が変わる希望」をテーマに編まれた短篇集「富士山」。マッチングアプリで出会う男女、大腸がん検査を受ける中年男性……。身近な題材でありながら、読み進めるうちに思索の森へと誘われる。自身の〈第五期〉に入るための実験的作品集だという本作について聞きました。 【写真】平野啓一郎さんインタビューカットはこちら
【あらすじ】
「富士山」…マッチングアプリで出会った男・津山と旅行中、ある少女のSOSに気づく加奈。 「息吹」…かき氷屋が満席だったために入ったマクドナルドで大腸内視鏡検査の話を耳にし、息吹は検査を受けようと決意する。 「鏡と自画像」…家族に虐待され、その後も恵まれない人生を送ってきた男は死刑になるため無差別殺人を計画する。 「手先が器用」…「手先が器用」と祖母にほめられた少女はやがて母となり――。 「ストレス・リレー」…海外出張から帰国した男は些細なストレスを蕎麦屋の店員・亮子にぶつけ、そのストレスはさらに亮子の母へと感染し――。
人生を左右する「運」
――この短篇集『富士山』について、「些細なことで運命が変わってしまう。これは、絶望であるかもしれないが、希望でもあるだろう。」と著者メッセージを寄せています。着想のきっかけは? はじめからこのテーマにしようと思ったわけではなく、書いていくうちに見えてきました。僕はロスジェネ世代なので、人生上手くいってない人は努力が足りない、といった自己責任論はすごく嫌なんですよ。最近は、「親ガチャ」だとか成育環境の差について随分指摘されるようになってきましたが、僕は歳をとればとるほど「運」の要素も大きいと感じるようになったんです。 秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大(2022年に死刑執行)の手記『解+』(批評社)を読んだとき、本当にちょっとした何かが彼の人生にあれば、全然違った結末があったのではないかと感じたんです。僕らは大きな犯罪に直面すると、制度的な問題や教育的な問題、大きなことを考えがち。もちろんそれも大事なことですが、犯罪者を自分の周りにいるような人間の一人として捉える視点も必要だと思いました。 ――この短篇集の中の「鏡と自画像」という作品はまさにそれをテーマとしていますね。「なぜ凶悪犯罪を踏みとどまれたのか」という視点で主人公の不幸な生い立ちやその中の一瞬の煌めきが綴られます。これは平野さんが『死刑について』(岩波書店)で書かれた死刑廃止論にもつながる物語ですね。 やっぱり死刑の議論に関わってきたことは大きい。死刑を存置すべきという人たちの理由の一つに「犯罪の抑止になるから」という抑止論があります。でも実際は無期懲役と比べて死刑の犯罪抑止効果は必ずしも高くないというデータがあります。じゃあどうすれば、と考えたとき、「なぜ犯罪を犯すのか」ではなく、「なぜ犯罪を犯さないのか」というアプローチもあります。20世紀後半の前衛文学にも、起きなかった出来事について考える作品がありましたが、その現代版を僕なりに考えてみたのが「鏡と自画像」です。 ――主人公は無関係な人々を殺して死刑になろうとします。無差別殺人についても考えさせられる物語です。 「誰でもいいから人を殺したかった」という話は「死刑になりたかった」という理由とセットになっていることが多い。日本では「永山基準」といって3人以上殺せば死刑、という量刑相場が形成されています。だから相手を恨んでいるわけじゃなく、ただ人数として3人以上必要だからという理由で無差別殺人を起こす。この小説の主人公は、その「誰でもいい」という言葉に立ち止まり、「本当に誰でもいいのか」と考え始めます。抽象的な「誰でもいい」ということから、具体的な感触のある、自分にいた〈誰か〉を思い出すのです。 ――現代は相手の実体を感じにくい時代でもありますよね。表題作「富士山」は、マッチングアプリで知り合った男・津山と旅行する加奈の物語です。加奈は津山が善人なのか、事なかれ主義者なのか、その人間性を掴もうとします。 僕は「何かの瞬間に人間性が出る」といった考えが好きではないんですよね。いい人がたまたまその時だけ機嫌が悪かったり、その逆もあると思うので、人間性は持続の中でしか判断しようがないと思うんです。 マッチングアプリのように人工的に出会って、何回かのデートで相手の人間性を見極めるというのは本当に難しい。しかし、結婚したいなら、本当に今後の人生を共にして良いのか見極めないといけない。リモートワークでも同じことが言えると思います。雑談もしないし、ちょっとした仕草を目にすることもない。コスパ、タイパを考えてすべてのコミュニケーションを合理化していくのは、会社という持続を前提としている集団では、やはり支障が出るんじゃないかな。