平野啓一郎さん「富士山」インタビュー 現代社会と向き合い生まれた短編集
父となり、死の意味が変わった
――「息吹」について伺います。息子の悠馬と妻の絵美と暮らす中年男性・息吹が主人公。偶然入ったマクドナルドで耳にした話題から、大腸内視鏡検査を受け、ごく初期の大腸がん細胞を摘出し、助かります。が、徐々に、自分は本当にがんを早期発見できた自分なのか疑い始めます。この小説を読んで、検査を受けようと強く思いました。 読んだ人はみんなそう言います。内視鏡検査は僕の実体験がもとになっているので、切実に響くのかもしれませんね。加工肉が大腸がんリスクを高めるというくだりがあるのですが、うちでもあまり食べなくなりました。 ――息吹がどれが本当の自分かわからなくなるほど思い詰めるのは、悠馬をのこして死ねないという想いがあるからですよね。平野さんご自身もお子さんがいらっしゃって、お父様を早くに病気で亡くされています。父となった今、病気や老いをどう感じていますか。 自分が死ぬことに関して、考え方が変わりましたね。昔は自分のことしか考えませんでしたが、今は、死んだら家族の生活はどうなるのかということが気になります。死後に作品が読まれる、ということに関しても、昔は純粋に芸術的な観点からそのことの意味を考えていましたが、今は、子どもが成人するまで十分な印税を受け取れるだろうかとか考えたりします。彼らが成人すればまた変わってくるのでしょうが。 ――パラレルワールドに憑りつかれた息吹に対し、東日本大震災で父を亡くした絵美は猛反発します。なぜこの小説に震災を登場させたのですか。 パラレルワールドという発想は、震災以降、困難になったのではと考えていました。パラレルワールドは「第2次世界大戦で、もしドイツと日本が勝っていたら?」など、出来事が起こったか/起こらなかったかを想定としますよね。でも、東日本大震災はそれが「いつ起こったか」によって、助かった人、助からなかった人が秒単位で変わる。パラレルワールドの存在を認めたら、生きている人、死んでいる人の構成が違う世界が無限にあることになります。主人公の妻もそういう考えです。しかし、コロナはパラレルワールド的な想像力をまた強く刺激しました。 この短篇を読んだ方から「震災に言及してもらえてよかった」と言われました。その方は、ご家族を震災で亡くされたそうです。10年以上経った今も、震災のトラウマを引きずって生きている人がたくさんいる。もちろん僕にとっても大きな出来事で、現代小説を書く上で、なかったことにはできないこと。これからも考え続けていきます。 ――「手先が器用」は一転して、しみじみと優しいお話。子どもへのささやかな誉め言葉の効用が書かれていると感じましたが、平野さんご自身はお子さんに褒めるとき、どんなことに気を付けていますか。 子どもが小さい時は、オーバーリアクションでわかりやすく褒めていたのですが、成長するにつれ、あまり大げさである必要はなくなりました。今は、友達にいいことがあった時のような感じで「へえ、すごいね」と反応するようにしています。「手先が器用」は、それまで犯罪とか死とか重たい話が続くので、最後の作品の前に、ブリッジとして入れたので、一息ついてもらえたら嬉しいです。