出生体重4980g。生まれる途中で肩がひっかかり、右腕の神経が切れるトラブルに。すべてを受け入れることは一生難しい【体験談】
17歳で高校を退学し自立。中学時代の同級生たちとは和解できることに
――中学卒業後はどんな進路を選んだのでしょうか? SUZU 公立の高校に通うことになりました。ただ、私が高校1年生のときに母が高血圧と疲労骨折で倒れてしまったんです。その後脳梗塞にもなり、私は学校に通うどころではなくなりました。そこで自立しようと思って高校を退学し、アルバイトをして生計を立てることにしました。 いろいろ大変なこともありましたが、私が結婚するときに、中学時代に急に離れてしまった子たちの数人から「あのときは本当にごめんなさい」と長文のメールが来たんです。彼女たちにとっても、ずっと私との関係がこじれたのを申し訳ないと思っていたみたいです。私も彼女たちだけが悪いわけではないと思っています。まだ子どもだったし、本当にどうしたらいいのかわからなかったんだろうなと感じています。 ――SUZUさんが自身の障害を受け入れられたのはいつごろでしょうか? SUZU ここ2~3年、ようやく認められるようになったかもしれません。でも、いまだに「障害がなければよかったのに」と思うことがあります。たぶん、すべてを受け入れることは一生難しいのではないかと思います。それでも、SNSで障害について発信することでいろんな人と出会えたり、取材される機会があったりするのは感謝しかないです。 普通だったら経験できないことを経験できているのは今の体で産まれたからこそだと思っています。それに、人の気持ちもわかるようなったと思います。 17歳で夫と知り合い、18歳で結婚して、今では12歳から生後4カ月まで6人の子どもがいます。右手がまひした状態での子育ては大変なこともありますが、夫にサポートをしてもらいながら、毎日とてもにぎやかな生活です。 お話・写真提供/SUZUさん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部 これまでの経験を話すSUZUさんの様子は、大変な思いをしてきたとは思えないほど明るく感じられました。出生時の対応しだいでまひは残らなかったかもしれません。多くの人に分娩まひについて知ってもらうことを願っているとのことでした。 次回第2回では、現在6人の子どもを育てるSUZUさんに、子育てに忙しい日々について聞きました。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年5月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
たまひよ ONLINE編集部