「3.11」を改めて語り合う“お互い様”の関係 震災支援者らが見る被災地
東日本大震災から6年がたちました。例えば復興公営住宅の整備進捗は、この1月末時点で福島県61.9%、宮城県81.0%、岩手県76.3%。被災地で槌音が響かない日はなく、建物の再建は一歩一歩進んでいます。しかし、心の再建はどこまで進んでいるでしょうか。 【写真】岐路に立つ被災地の「仮設商店街」 迫る退去期限、新設への移転進まず 被災者、それぞれが抱える「3.11」。NPOをはじめとする支援者たちから見た7年目の被災地、被災者を探ります。
もう一歩踏み込んで震災の話を
「この6年間、被災地に足を運んでいて思うのは、3月11日当日について、以前より話す機会が減っているということです。むしろ、思い出に蓋をしているというか、語り合うことができなくなってきているように思います」 キャンドルアーティストのキャンドル・ジュンさんは、震災後、毎月の命日には欠かさずに福島でキャンドルイベントを行っています。ジュンさんは被災当日の話題が消えていくことについて、こう指摘します。 「周りも気を使って聞かなくなり、当日のことを語ることがなくなってしまっている。支援する側、される側という区別なく、みんながもう一歩踏み込んで話をするというのは、大事なことなんじゃないですかね」
通ううちに近づいた心の距離
「初めて被災地を見た時の衝撃は、言葉にならないです。あの光景を見て、細く長く活動を続けようと思いました」 こう振り返るのは、6年間、毎月欠かさず宮城県南三陸町を訪れている災害復興支援団体「北町商店」代表の田辺聖一さん(43)です。北町商店は東京・四ツ谷の居酒屋。震災直後、「自分たちにできることは温かい食べ物を届けることだ」と思い立った田辺さんが、食料を持って行ったことが支援活動の始まりです。 いまでも食べ物を届けながら、仮設住宅の訪問や農水産業などの手助けを行っています。そして6年。通い続けることで子どもたちと仲良くなり、成長を実感できるようになったといいます。 「6年前、子どもたちのストレスはすごかった。なかなか話しかけられなかったし、打ち解けるのにも時間がかかりました。避難所での生活は大変なストレスだったと思います。けど信頼関係もできると笑ってくれるし、おじちゃんおじちゃんとなついてきてくれる。中には社会人になって、東京に遊びに来てくれるようになった子もいます」 6年という年月の中でポジティブな変化がある一方で、心配もあります。仮設に取り残される高齢者らの存在です。「6年たつと復興住宅もできて、そちらに引っ越す人も増えていきます。僕が回っている仮設住宅は8か所くらいありましたが、取り壊しの時期に入ったので、いまは半分以下。一方で、まだ仮設住宅に残る方もいて、そういう方たちのさびしさを思います」。 田辺さんは、南三陸町の人たち、そして希望ある子どもたちを今後も仲間と支援していくつもりです。