「壊れてちゃいけないんだろうか」…外部への接続を阻む資本主義の「透明な檻」
バートルビーによる「切断」
ここでネットワークからの「切断」を提唱したい。ノイズを混入するのでも、ネットワークを組み替えるのでもなく、端的なる「切断」。それは一体どのような事態を指し示しているのか。幸いにも、私たちはそのためのロールモデルになりうる人物をすでに知っている。そう、バートルビーその人である。 バートルビー。ハーマン・メルヴィルの短編小説『バートルビー』に登場する人物。ウォール街の法律事務所に勤める謎めいた書記(スクライブ)。彼を象徴する決まり文句が「しない方が良いのですが(I would prefer not to)」である。バートルビーは上司からの指示に対し、この言葉を繰り返し使い、次第に仕事を拒否するようになる。決して声を荒げるわけでもなく、暴力に訴えるわけでもなく、ただ淡々と「しない方が良いのですが」を繰り返す。その、受動的に見えるが一貫している拒絶。 バートルビーは遂にすべての業務を拒否するようになり、それだけでなく法律事務所の片隅に住み着くまでになる。彼の上司である語り手を含めた周囲の人間は困惑し、そして遂にはどうにもできなくなり、警察の手を借りる。結局、バートルビーは浮浪者として「霊廟」と呼ばれる監獄に収監される。食事すら取ることを拒絶するバートルビーは後日、監獄の中で衰弱死した状態で発見されるに至る。 バートルビーの物語は以上だが、語り手による後日談がこの後に加えられる。それによると、バートルビーはかつて郵便局の「デッドレターオフィス」(配達不可能な郵便物を処分する部門)で働いていたという。どこにも届かない、ネットワークから切断された、死んだ手紙。ことによると、「しない方が良いのですが」という決まり文句によって世界に遍在する諸々のネットワークから自身をひとつひとつ切断し、最終的に食べ物すら拒絶して孤独死するに至るバートルビーの生それ自体が、どこかデッドレターめいて見えてこないか。