「とんねるずは死にました」―戦力外通告された石橋貴明58歳、「新しい遊び場」で生き返るまで
しばらくすると、『ドバドバ大爆弾』からまた電話がかかってきた。 「まー、しつこくて。『本当にあと一回ですよ』って言って。日本一面白い素人としてのプライドがあったので、今度は構成とかも考えたんですよ。そしたら数週間前にめった打ちにされた演出家の人に『よくなったじゃねえか』と言われて。『じゃあ1週間後』って。急遽、憲武も俺も有休を取って。出りゃあ、俺は素人で有名だったから、ドカンドカンウケるわけですよ」 4週勝ち抜き、5週目で落選。ここで本当に終止符を打つつもりだった。ところが森永製菓からCMのオファーが舞い込む。 「契約書をパッと見たら、1人30万円。『30万円?! ケンメリ(日産スカイラインの一モデル)の頭金になるじゃないか!』。あの時なぜ、30万で自分の人生を違う形に持っていってしまったんだろうか。忘れもしない40年前の8月15日、ホテルを退社しました」
視聴率は「正解が見つからない」
素人のまま番組にもCMにも出ていたなら、何をもって「デビュー」とするのだろう。 「美空ひばりさんに初めてお会いした時に、『デビューして何年なの?』って聞かれて。80年に結成したので『6年くらいです』と答えたら、『もう6年間売れてたの?』。『芸能界は売れてから芸能生活ってカウントするものだから、売れたのはいつなの?』と。『雨の西麻布』で全国的になったのは85年だなと思って、『85年です』。それからデビューは85年と言っています。まあプロになったのが何年という前に、ずっと素人のままです。いまだに素人ですよ、本当に」
「チャンピオン」の称号があっても、1人で活動しようとは思わなかった。木梨憲武とのコンビについてこう語る。 「実際、実力がなかったんでしょうね。力のあるやつは1人で出てこれるんだと思うんですよ。憲武と2人でやっと一人前だった。役割分担とかは考えてはいなかったですけど、戦略面は考えていましたね。木梨憲武はアーティストで、『こういうフィールドだ』と渡しちゃったほうが力を発揮できる。どういうフィールドにするのかは、僕が考える」 2人はいわゆる下積み時代をさほど経験することもなく、人気を集めていった。 「『1杯のラーメンを2人で食いました』みたいなことも全くなく。4年くらいでバンっていっちゃうんですけど。まぁみんな夢見ている間は、苦しみだとか下積みだとか、たぶん感じないですよ。夢のほうが大きくて、麻痺してるから。だけどだんだん年齢を重ねていったり、いろいろなものが見え始めてきたりすると、やがて恐怖になり、痛みになり、ビビってきちゃうんですけど」