パセラ“2代目”跡継ぎ娘、社長就任の知られざる舞台裏。カラオケ業界のコロナ苦境を乗り越えて
コロナ禍で大きな打撃を受け、苦境に追い込まれたカラオケ業界。 だが、2023年にWHOが緊急事態宣言を終了すると発表、人流や宴会需要の回復に伴って再び活気が戻りつつある。 ⇒【写真】2010年に人気ゲーム『ドラゴンクエスト』(ドラクエ)とコラボした「LUIDA’S BAR(ルイーダの酒場)」 コロナ明け2年目となる2024年は、カラオケ各社も生き残りに向け、真価が問われる局面だと言えるだろう。 こうしたなか、業界最多の190万曲数を誇り、首都圏および大阪を中心に24店舗を展開しているのが「カラオケパセラ」(以下、パセラ)である。 また、アニメ・ゲームとの常設コラボ店舗や、“推し活”を応援する「推しカラーアフタヌーンティー」、料理の味に満足できなかった場合に返金する「お味保証制度」など、パセラならではの独自性を追求しているのが特徴だ。 パセラを運営するNSグループ(ニュートン・サンザグループ)は、2023年4月に創業者の娘である荻野佳奈子さんが跡取りとして引き継ぎ、新体制のもとで事業に取り組んでいる。 じつは、荻野さんは先代に「社長をやらせてください」と直談判したそうだが、その裏側とは……。そして、“2代目”として約1年が経とうとしているが、彼女が見据える未来とは!?
マイナスイメージを払拭するため、カラオケ業界へ後発で参入
パセラの歴史は今から30年以上前までさかのぼる。 1992年にパセラ池袋西口を1号店としてオープンさせると、そこから怒涛の勢いで店舗数を拡大していく。 池袋、御徒町、秋葉原、上野、新宿、お茶の水など、都内の主要エリアに出店し、90年代に事業の礎を築いたのだ。 幼少期から、経営者である父(荻野勝朗氏)の背中を見て育った荻野さん。 だが、「小さい頃に、父がカラオケに連れて行ってくれた記憶は一度もない」と語る。それなのに、なぜカラオケビジネスを始めたのか。 実は当初、日本最大級の遊技場を目指す予定だったものの、想定以上の大失敗に見舞われ、存続の危機に陥ってしまったのだ。そうした状況下で社員数名が集い、緊急で開いた会議であがったのが、カラオケのアイデアだったという。 「熾烈な競争を繰り広げていたカラオケ業界に後発で参入したのは、『汚い・まずい・不親切』という“3つの負”に着目したからです。真反対の『綺麗・美味しい・親切』で他社と差別化し、この業界のマイナスイメージを払拭できれば勝てる。そう信じてパセラ事業を立ち上げたのです」(荻野さん、以下同)