自己資金「1500万円」でパン屋を始めた、40代「元エリートサラリーマン」の末路…妻と子どもは消息不明、現在は廃業した
4月、多くの日本企業の新年度がスタートした。新入社員を迎え入れ、フレッシュな気持ちにもなりやすいこの時期だが、その一方で都内とのある退職代行サービスに寄せられた依頼がすでに約800人にのぼり、うち129人の新卒社員が退職手続きしたと日本テレビのニュース番組で報じられていた。 【マンガ】5200万円を相続した家族が青ざめた…税務署からの突然の“お知らせ” これまでは日本の高度経済成長を支えてきた終身雇用制度も、自身のキャリア形成や能力に見合った給与水準、ライフステージに合わせたマイナーチェンジも視野にいれつつの働き方を考えると、会社の体制が働き手にとって居心地のよい環境に変わらない限り、新卒から定年まで同じ会社で働き続ける選択をする人が減っていく可能性は高い。 生産可能人口が目減りする日本では、労働者から見て魅力的な職場環境を整えることは企業の務めでもあるが、一方、そうした労働者の願いをかなえつつ、人材が流動化すれば、前社で育ててくれた優秀な労働者を確保できる企業側メリットもある。 しかしこれら流動する労働市場で歓迎されるのは、一部の優秀な労働者であることに変わりはない。冒頭に述べた退職もその理由が「前向き」か「後ろ向き」かによって、ライフプランが大きく崩れてしまう危険性を孕んでいる。 某財閥系の重工業企業に勤めていた優斗さん(55歳・仮名)は、今から15年ほど前に早期退職し、手に入れた退職金の1000万円でパン屋を開業した男性だ。 国立大学を卒業後にゼミの先輩がいる高収入を見込める会社に新卒で入社し、当時営業に配属。給与は800万円ほどだった。 しかし、入社当時から抱いていた職人の仕事を諦めきれず、仕事に身も入らずに営業成績は悪化。退職する3年前に結婚し、子どもも生まれたばかりの状況のなか、起業し成功している知人の影響から「飲食店かなにかをはじめたい」という気持ちがフツフツと沸いたという。
妻も応援してくれると思い込んでいた
でも、なんのお店を開くかも決められず、退職する勇気がでないまま37歳で結婚。39歳で娘さんが生まれた。そんな矢先、会社の上司から早期退職を促されたのだ。 当時、おおっぴらに早期退職を募っていたわけではなく、マスコミではあまり話題にはならなかった。でも、年間100人くらいは退職しただろう。大企業だからこのくらいの人数じゃ目立たなかったのだろうと優斗さんは言う。 「まだ40歳なのに肩たたきです。しかも結婚して子供が生まれたばかりなのにね。でも、もう会社に楽しみを見いだせなくなっていましたし、そんな時期なのかもと素直に受け止めました。 1000万円の退職金があればなんとかなるだろうと、奥さんに相談もしないで決めたんです。“退職してきたよ。パン屋さんにでもなるよ”と伝えたら、めちゃくちゃ怒られましたけどね。 どうして相談しなかったのかと。出産したばかりなのに、私も専業主婦になったのにこれからどうするのかと。言われてからハッとしました。そうか、と。馬鹿ですよね」 でも、それくらい、もう自分のことしか考えられなくなっていたんです。もう会社は嫌だ、起業するぞと。 ちょうど退職勧告される前くらいから、やはり職人的な仕事をしたいと、いろんな本や雑誌をパラパラめくりはじめていたんです。すると、パン屋さん開業のためのスクール情報を見つけた。 「そんなわけで、実は退職する前に、パン講座には申し込み済みだったんです。私、バカなのかもしれないんですけどね、会社を辞めて起業すると話せば、妻はきっと喜んで応援してくれると勝手に思っていた。でもまったく違っていた……安定した収入、大企業の看板がなくなったらどうするのかと、責められました。 でももう退職してしまいましたし、絶対うまくいくと信じていたので、パン屋開業に向けて走るしかありませんでした。 貯金をくずして資金はぜんぶで1500万円ほど。1ヵ月ほどパン作りの研修を受けて、開業する賃貸物件の契約その他……正直、あっというまに資金はなくなり、従業員を雇う余裕などなく、ひとりでパン屋をスタートしましたよ。 毎日深夜1時か2時には起床。パンを焼いてお店に並べて片づけたり、仕込んで……夜、眠りにつくのは9時か10時頃です。そしてまた1時か2時には起きる毎日。 パンは美味しいと評判にはなりましたが、どんなにがんばっても売り上げから経費を引くと月収がようやく20~25万円……離婚、病気、廃業、それから今日までの道のりは、想像以上に大変でした」