余命宣告に狼狽する姿が「死の現実」を突きつけた…石原慎太郎の「男性性」とまったく噛み合わなかった「もう一人の巨頭」
2022年に亡くなった石原慎太郎氏は男性性の権化のような生き様を貫き通しましたが、余命宣告後、死を前にしてあまりにも率直な言葉を残しています。その2年前、「老い本」界の巨頭でもあった石原氏ともう一人の巨頭の対談には、死に向き合う感覚の男女差が明確に現れ出ていました。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる「老い本」を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
「ほとんどコント」のような対話
死に対する感覚の男女差がよく現れているのは、曽野綾子と石原慎太郎という老い本界の二巨頭による対談集『死という最後の未来』である。2020年(令和2)に刊行された当時、曽野は89歳、石原は88歳。売れっ子作家として同じ時代を過ごした二人だが、死に対して抱く感覚は、全く異なる。 曽野は、わからないことはわからないままにしておきたい、流されるように生きてきたので、死にも抗うことはしない、と語る。対して石原は、わからないことはとことん追求し、できないことは歯を食いしばってでもできるようにし、自分で自分の運命を切り拓きたいという人。だからこそ、石原は老いることも死ぬことも拒否したいのであり、「ねじ伏せるがごとく、老いを無視する。無視することでがむしゃらに生きたい」し、「貪欲に死の実相を探り尽くしたい」。 曽野は、所有という行為についても、恬淡(てんたん)としている。それまで書いてきた原稿は全て燃やした、と曽野が言うと、「僕は残したいですね」と石原。弟の裕次郎の記念碑の隣に自分の石碑も作り、そこに辞世の句を刻めと子供達に命じているというのだ。 脳梗塞の発症後、ヨットを手放した時の悲哀を、石原は語る。 「自分の人生が引き剥がされるような、何ともいえない悲しみ、せつなさがあったなあ」 という彼の述懐は、なかなか運転をやめてくれない高齢の父親を持つ子供達にとって、参考になるかもしれない。 また曽野は、長生きを望んでなどいないし、六十歳ぐらいからは健康診断も受けていないと語るのに対して石原は、朝起きたらまずタワシで全身をこすり、その後は様々なトレーニングを日々行っているという。 「太陽の季節の男が、今や斜陽の男になって(笑)。自分に鞭(むち)を当てて、しごいていくしかありません」 ということで、両者の感覚はことごとく交わらない。 石原「決してあきらめず心身を鍛え続けていこうと思っていますよ」 曽野「抗わないことに慣れるのも、楽ですよ」 石原「だから慣れたくはないんだ、僕は」 曽野「お気の毒」 という対話は、ほとんどコントである。