余命宣告に狼狽する姿が「死の現実」を突きつけた…石原慎太郎の「男性性」とまったく噛み合わなかった「もう一人の巨頭」
「生への執着」を隠さなかった
両者が交わらない理由を性差のみに見るのは乱暴だろうが、探求、開拓、所有に対する石原の飽くなき欲求は、男性性の一つの現れだろう。 その後、老いと死に抗い続けた石原は2022年(令和4)に没する。石原の没後、「文藝春秋」2022年4月号には、絶筆となった原稿「死への道程」が掲載された。 そこには、がんが再発してからの、石原の率直な気持ちが記されている。医師から余命3ヵ月と宣告されると、「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」。「頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり」という、「死に臨んでの狼狽」の中に著者は立つ。 生きることに貪欲であったからこそ、石原は余命宣告に狼狽(ろうばい)した。その様子は、強い男として石原をイメージする読者に、生と死の現実を突きつける。いつまで生き続けるかわからないことに半ば恐怖を抱き、「そんなに長生きはしたくない」と、死に対して恬淡とした姿勢を示す人が多い時代において、89歳にして見せる石原の生への執着は、生物としての根源を見るかのような、一種の畏怖を読者にもたらすのだ。 原稿の終わりに石原は、 「私として全くの終りの寸前に私の死はあくまでも私自身のものであり誰にもどう奪われるものでありはしない」 と書いた。人生の締めくくりに際して、死をも所有したいという石原の姿勢は、真の意味での“男らしさ”を示している気がしてならない。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子