【宗教を超えて】東大寺別当 橋村公英さん:大仏さまに手を合わせるひととき、怨みを忘れ、他者を理解する
言葉を超えた世界との出会い
橋村さんは13歳で得度したが、大学時代は僧侶として生きることに迷いがあったという。転機となったのは、世界的な仏教指導者である禅僧ティク・ナット・ハン(1926~2022)が著した英語の仏教書に出会ったことだった。ハン師はベトナムに生まれ、非暴力でベトナム戦争の反対運動を展開したが、政府との軋轢(あつれき)によりフランスへの亡命を余儀なくされた。その後、フランスや米国で布教活動に取り組み、瞑想やマインドフルネスに関する書籍を100冊以上も執筆。欧米社会で仏教徒以外にも大きな影響を与えた。 「説いている内容は同じなのでしょうが、日本語で書かれた仏教書とはだいぶ異なった印象を覚えました。日本の仏教を外側から捉えることができて、当時の私にとって目から鱗(うろこ)が落ちるようでした。瞑想にも興味を持つようになり、言葉を超えた世界が仏教にあることを教えられました」
国際色豊かな21世紀の大仏殿
橋村さんが別当に就任した2022年は新型コロナウイルス感染症の拡大期で、境内に参拝客がほとんどいなくなってしまった。東大寺がこれほど閑散とした時代はかつてなかっただろう。しかし翌年、パンデミックが収束に向かうと、大仏殿は世界中から訪れた参拝客でにぎわうようになった。 「オーバーツーリズムを心配する声もありますが、少なくとも境内を見ていると、さまざまな言語が行き交う国際色豊かな現在の景色は実に素晴らしい。宗教の異なるさまざまな人々が往来していますが、平穏そのものです。一方で世界には宗教がらみで戦争が起きることが多い。ひとたび感情がもつれてしまうとどんどん憎悪が膨らんでいきます。お釈迦さまは戦争を起こす人間の心について『法句経』でこう説かれておられます。 <実にこの世においては、怨(うら)みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。> このお言葉は、一族の多くが虐殺されたお釈迦さまご自身の経験から導き出されたものです。怨みを捨てない限り、怨みの連鎖を断ち切ることはできません。世界中の戦争は、欲望と不安から生み出された怨みがぶつかり合う憎悪の心が引き起こしています。 仏教では自分だけでなく、他者の幸せを願う慈悲の心を重視しています。仏教徒もそうでない方も、大仏さまに向かい合うことを通して、少しでも他者を思いやる気持ちになっていただければ、こんなうれしいことはありません。自分が信じる宗教以外についても知り、世界には多様な宗教があると分かれば、信仰のいかんにかかわらず、他者を理解するヒントになると思います」 インタビュー・文:近藤久嗣(nippon.com編集部) 撮影:六田春彦
【Profile】
橋村 公英 東大寺第224代目の別当。1956年、奈良市生まれ。5歳で入寺し、東大寺で僧侶をしていた祖父の跡を継ぎ、13歳で得度。龍谷大大学院修士課程(東洋史)を修了後、82年から東大寺の僧侶となる。2016年から執事長を務め、2022年より現職。