筒美京平さん死去 名曲は時代を超えて令和のアイドルもカバー
「また逢う日まで」「魅せられて」など数々のヒット曲を世に送り出した作曲家・筒美京平さんが7日、誤嚥性肺炎のため亡くなった。80歳だった。
数々のヒットで歌謡曲全盛期の芸能界盛り上げる
筒美さんは1940年、東京の出身。幼い頃からピアノを始め、青山学院大学在学時にはジャズに打ち込んだという。当初はクラシックのピアニストを目指したこともあったが、大学卒業後の63年に日本グラモフォンに入社、洋楽担当ディレクターとなった。その頃、大学時代のモダン・ジャズ・コンボの先輩である橋本淳氏の勧めで、すぎやまこういちに師事し作編曲を学び、歌謡曲の作曲を手がけるようになった。1967年8月1日リリースのヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」(作詞・橋本淳 編曲・森岡賢一郎)がヒット。その翌年の68年には12月25日のクリスマスにリリースした、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」(作詞・橋本淳)が69年2月から4月にかけて9週連続で首位を独走し大ヒットとなった。同曲のヒットでいしだは紅白初出場を果たし、筒美さんは第11回日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。 筒美さんが作曲・編曲で日本レコード大賞を受賞した曲はほかに71年の尾崎紀世彦「また逢う日まで」が第13回日本レコード大賞、79年のジュディ・オング「魅せられて」が第21回日本レコード大賞に輝いている。その後も数々のヒット曲で昭和を代表する作曲家の一人となった筒美さんは、歌謡曲全盛期の芸能界を盛り上げた。
そんなヒット曲のひとつに、太田裕美4枚目のシングルで75年にリリースされた「木綿のハンカチーフ」(作詞・松本隆)がある。多数のアーティストによってカバーされてきた名曲だが、14日には新たに令和版として石川県を拠点とするアイドルグループ「ほくりくアイドル部」が世代を超えたカバーをリリースする。夏前から決まっていたことだが、奇しくも筒美さんが亡くなった直後というタイミングとなってしまった。グループの総合プロデューサーを務める中新賢人氏は、「僕は歌謡曲とJ-POPで育った日本人。『木綿のハンカチーフ』は懐かしい景色であり、人生の中の大切な思い出の一部。この曲には、現代では見失なったり忘れられがちな素朴さがあると思います」と曲への思いを話す。 いい曲は時代を超えて歌い継がれていく。筒美さんの名曲は色褪せることがない。 (文:志和浩司)