世界初連発でトヨタと日産を凌駕、強烈だった「シャレード」
ネガを逆手に取った大胆戦略
当時として世界最高レベルの燃費性能を誇った1Lディーゼルエンジンだが、21.5という高圧縮比だったこと、3気筒エンジンだったことによりガラガラ音と大きな振動を抑えることができていなかった。 今考えれば、「市販モデルのエンジンとしてどうなの?」「未完成品?」という感じだが、ダイハツはネガであるその音と振動を逆手にとって『Rock’nディーゼル』というキャッチコピーで大々的にアピールしたのだ。うるさい音も振動も、「ロックだからノープロブレムだろ!!」と暗に言っているのが凄いところ。
デ・トマソに憧れた!!
2代目シャレードの重要モデルとしてはデ・トマソの存在だろう。これにより若者のシャレードに対するイメージはさらにいいものになったのは言うまでもない。 ダイハツがイタリアのイノチェンティにエンジンを供給していた関係から実現。当時イノチェンティはデ・トマソが傘下に収めていたため、ダイハツとデ・トマソという夢のような日伊のコラボ車が登場することになったのだ。スーパーカー世代にとってデ・トマソパンテーラは人気の高かったモデルだったこともあり、デ・トマソへの憧れも強く、人気となったのは言うまでもない。
カンパニョーロのマグネシウムホイールはマニア垂涎
実はこのシャレード デ・トマソは1981年の東京モーターショーで初代シャレードをベースにしたモデルが公開されていたが市販されず。ファンをがっかりさせたが、晴れて2代目ベースのモデルが1984年に市販された。 エンジンは「ネコ科のターボ」と同じながら、デ・トマソが監修したエアロパーツ(前後バンパー、フロントグリル、テールゲートスポイラーなど)、パンテーラを彷彿とさせる赤/黒ツートーンのボディカラー、専用にローダウンされたサスペンション、専用バケットシートなどが奢られていた。 そして何よりもファンを喜ばせたのは、カンパニョーロのマグネシウムホイールだ。カンパニョーロはイタリアの自転車パーツメーカーだが、自動車ホイール部門もあって、カンパ(こう呼んでいた)のマグホールはクルマ好きの憧れの逸品だった。なにしろランチアストラトス、ランボルギーニミウラ/カウンタック、マセラティメラクなどイタリアンスーパーカー御用達だったからだ。 MOMOのステアリング、タイヤはピレリP8と合わせてイタリア製品でまとめられていたのもイタリアフリークもご満悦。それなのにターボが96万円だったのに対し、デ・トマソターボは123万円と専用装備を考えると超バーゲンプライスだった。