ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(下)・「方向」と「直線」と「円心」
イスラム世界は「直線」
イスラムの宗教様式は、スペイン、モロッコから、中東、インド北部(ムガール)を経て、マレーシア、インドネシアまで、北アフリカを含むユーラシアの西から東まで、「直線」状に分布している。教祖ムハンマドが隊商の家系から出たこともあって、イスラム教は遊牧民と相性がよく、ユーラシア中央部の遊牧民国家はほとんどイスラム化している。 この直線は、ユーラシア大陸の西の文化中心と東の文化中心を結び、文化を伝え、攪拌する役割を果たしてきた。つまり東西の交流がその文化的アイデンティティなのだ。 またイスラム教は、古代ローマという巨大な帝国が力を失った時期に、その周縁部から出発した宗教であり「ローマという苛烈な都市化」(前回記事参照)とは逆の「苛烈な都市化の反力」としての性格を帯びている。それが現在の、苛烈な資本主義的都市化としての「西側」に対する苛烈な反力となっている。 すなわち「享楽に対して戒律」「欲望に対して禁欲」であり、今の日本人には厳しすぎるとも感じられるが、社会によってはそういった「厳格な精神的紐帯(ちゅうたい)」も必要なのだろう。現在の世界におけるその広がりを考えれば、むしろ近代文明の都市化に対する反力としての必然性を有し、それなりに穏健な社会として存在しうるものと考えるべきだ。 イスラム世界の「直線」は、「西側」に限らず、一所を中心として集積する都市文明そのものに対峙する文化的アイデンティティを表している。
中国は「円心」
中国の宗教様式は、日本の仏教建築を見れば分かるように木造であり、柱の上部、深い軒を支える組物に特徴がある。これは漢字文化圏と重なるように分布していて、前述のアルファベット、石造建築、自然科学を基本とする文明発達のメインストリームから離れた特殊な存在となっている。 本来「中国」とは、国名というよりむしろ場所を意味し、文化の中心という概念である。歴史においては「漢」や「唐」や「明」が国名なのだ。その領域は、東は東シナ海、南は南シナ海、西はヒマラヤ山系に連なる砂漠、北は万里の長城で区切られた円状の地域で、東の海の向こうには日本、南の海の向こうには東南アジア、西の砂漠の向こうにはいわゆる胡(西域)の遊牧民とペルシャ(イラン)などがある。 歴史において、「西側」の都市化の中心は時代とともに大きく移動し、それを担う民族も宗教も言語も交代するが、中国の都市化の中心はさほど動かない。外部から侵入した異民族が王朝を建てても、漢字と官僚の文化に同化してしまう。その円心にはたらく求心力と遠心力の拮抗が、中国の文化的アイデンティティである。 つまりロシアの「方向」、イスラム世界の「直線」、中国の「円心」は、「反西側」という点では同様だが、その「反力」の現れ方には、まったく異なる文化的要因とスタイル(様式)があると思われる。