ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(下)・「方向」と「直線」と「円心」
日本という「円弧」
漢字文化圏は、文明発達のメインストリームとしての「西側」に対する「別世界」であった。古代にも(シルクロードをつうじて)、中世にも(大航海時代の南蛮として)、多少の交流はあったが、この文化圏が「西側」を強く意識するのは19世紀、中国でアヘン戦争が起き、日本に黒船が来航するころからである。 この文化圏は、別世界としてそれなりの発展をしてきたのだが、メインストリームから離れていたためのさまざまな困難がある。たとえば表語文字としての漢字を基本とする文化は、アルファベットやアラビア数字を基本に構成される数学的科学的記述に対する困難を乗り越える必要があるのだ。 日本列島の地理的幾何学は、漢字文化圏の東端に張り出した弓なりの「円弧」であり、その延長には太平洋を挟んで「西側」が拡大発展したかたちのアメリカという「新世界」がある。日本文化は中国の遠心力(放射力)を受けて育ったのであり、漢字文化圏の一角ではあったが、そのままではなかった。漢字を変化させた一種のアルファベット(表音文字の意味において)としての「ひらがな・カタカナ」を開発し漢字と混ぜて使うという世界に類例のない文字体系を用い、日本語自体が漢語と大和言葉の混成となっている。つまり外来文化と既存文化のハイブリッドであることにアイデンティティがあるのだ。 日本が急速に「西側」の文化を取り入れることができたのには、このことが幸いした。明治の洋学者は漢学者から転じた者が多い。「からごころ」が「ようごころ」に転じたのである。 漢字文化圏の本家たる中国にはそれができない。日本は「西側」に化(か)することができるが、中国は簡単にはできない。そこに中国文化と日本文化の根本的な違いがある。 受精した卵子が胎児となる過程における器官の形成は、そのもともとの部位の性格によるのではなく全体の関係性によっているという。文化の性格も同様ではないか。生物の形態形成のように、周囲との位置関係によって形成されるのではないか。 もちろん人間の性格にもそういうところがある。 3回にわたって「西側」の文化的本質について書いてきたが、それはよくいわれる「自由・民主・市場」といったこととともに、前回書いたように、人間の歴史が向かっているとも思える「知(特に科学的真実)の開放性」が大きな要素ではないか。 プーチンの戦争を終わらせるのは果たしてプーチンであろうか。知の開放であろうか。