「法の支配」が揺らぐ中国市場で問われる「日本企業の覚悟」 …次の30年を後悔しないために
提言の評価できる点
制約要因と外部環境を前提に、目指すべき国家像に至るための施策が6つ挙げられている。それは「全世代型社会保障」「環境・エネルギー」「地域経済社会」「Society5.0+」「労働・教育・研究」「経済外交」に分けられているが、それぞれにそれぞれが深く関係する「入れ子構造」にあることも強調されている。 例えば図2は、2040年の地域別人口構成になる。 この図が語るものは、2040年にかけて首都圏への一極集中は更に進み、ほぼ横ばいの中部圏、近畿圏を除けば、他の地域は更に過疎化が進むということだ。更に人口構成も高齢化が進む。ここで政策提言として示されるのは道州制になるが、それは産業育成などを通じた地域経済の活性化や地域における拠点都市の育成だけでなく、Society5.0が示す通信化・デジタル化された世界が可能にする教育や医療、自動化されたモビリティ、そしてそうした社会が必要とする莫大なエネルギーの供給を可能にするための究極的には核融合の社会実装、それらが複合したなかで初めて実現できる、そしてそれがかくありたい国民生活を支える。 これは筆者の或る側面についての経団連提言の読み取りになるが、或る意味、良く考えられた施策であり、それらが組み合わされれば、確かに良い提言になっていると素直に感じる。少なくとも各省庁がその省庁の視点でのみ語る未来より、総合的な絵図が読み解ける。
「国際秩序」の認識に見る甘さ
ただ、どうしても引っ掛かり、甘いのではないか、と感じてしまうのが、提言の最後に置かれた「経済外交」の項目だ。そこでは「自由で開かれた国際経済秩序の維持・強化」が謳われ、そのための「主体的な経済外交の推進」が語られている。そして施策として同志国と連携した「国際的なルール整備」や、そのための仲間作りとしての「グローバルサウスとの連携強化」、こうした動きを主導していくために求められる(だからここもまた「入れ子構造」なのだが)「総合的な国力強化」が挙げられている。その全ての前提には、繰り返しになるが、「法の支配に基づく自由で開かれた国際経済秩序」がある。 図3はこの「経済外交」編に置かれた現状認識のスライドの1枚になる。 この図が冷静に示すように、米国の力が相対的に衰え、中国が台頭し、ロシアが力で国際秩序を脅かすなか、国連やWTOなどが支えていたグローバル・ガバナンスの機能は低下している。そして、ここにやはり冷静に書かれている通り「2040年において、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序が維持・強化されるとともに、国際社会が平和と安定を享受し、その下で日本が持続的に発展する姿を想定することは、楽観的に過ぎる」そしてそれに続く認識はこう記される「一方、いわゆる「Gゼロ」の下で分断と対立が歯止めなく進む世界を想定することは、将来世代から無策・無責任の謗りを免れない」その通りだ。 この一節から筆者が連想するのは、1989年6月、天安門事件でその本質を垣間見せた中国共産党に対し、西側が経済制裁を実施し彼らが孤立した際、1992年に天皇訪中を実現させ、中国に手を差し伸べ西側の制裁解除の糸口を提供した当時の我が国の外務省を始めとする官、そして政、その背後で目先の利益に囚われ、そうした動きを後押ししただろう経済界の動きになる。それは既に30年という時間にさえ耐えられず、現在を生きる我々からその無策・無責任を問われている話だ。 しかし、同じ轍を我が国が踏むことが本当にないだろうか、と感じる。